8月23日、バトンを握り直す日/堀川優奈
8月23日、バトンを握り直す日
堀川優奈
1945年8月23日、日本軍の50万人を捕虜としシベリアへ移送することをスターリンが命じた「ソ連国家防衛委員会決定9898号」が出された。これによってシベリア抑留の悲劇が起こったといわれる。
だが、そのことが明らかになったのは1992年であった。抑留体験者たちは、その間の47年間、体験の全体像を描くための外的な枠組みを持たずにいた。体験者がそれぞれに体験記を著し、集まって語りあい、「シベリア抑留」という集合的な体験を描いていくことはできても、ソ連側からその枠組みを与えられることはなかった。
現在、毎年8月23日に「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」が国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)で開催されている。2003年に第1回が開催され、2024年の今年は第22回である。主催は民間で、毎年中心となって動いているのは「シベリア抑留者支援・記録センター」の代表世話人・有光健さんだ。
「シベリア抑留者支援・記録センター」が発足したのは2011年。抑留体験者による団体「全国抑留者補償協議会」の解散を受け、残された課題を引き継ぐ形での発足であった。2010年6月に「戦後強制抑留者特別措置法」が国会で可決・施行され、生存者の一部に限られはしたが特別給付金を受給できるようになったことと、高齢化により運動の継続が困難になったことにより、「全国抑留者補償協議会」は32年間の運動に終止符を打った。
同じく2011年、「ソ連における日本人捕虜の生活体験を記録する会」が、1976年からの35年にわたる活動に幕を下ろした。団体の主たる活動であった『捕虜体験記』全8巻の刊行は1998年に完結し、翌1999年に代表の高橋大造さんが他界した。代表と会誌『オーロラ』の編集責任者を引き継いだ江口十四一さんも2011年1月に亡くなり、その年8月発行の第47号が『オーロラ』最終号となった。そこでは「シベリア抑留者支援・記録センター」の発足について、「本誌の志と役割の一部は同センターが引き継いでいくことになる」と言及されている。
親睦と慰霊を戦友会の重要な特徴とするならば、「全国抑留者補償協議会」も「ソ連における日本人捕虜の生活体験を記録する会」も「戦友会」には当てはまらない。彼ら自身が戦友会を名乗っていたことを示す記録も、筆者はこれまで目にしていない。だからこれら2団体や、それらを引き継いだ「シベリア抑留者支援・記録センター」は、「生き延びる戦友会」(角田燎)の事例としては数えられないだろう。
しかし同時に、戦争体験者の集団が「生き延びる」あり方のひとつを、ここに見ることができるのではないかとも考える。『戦争のかけらを集めて』の担当章で分析した高橋大造さんの資料は、「シベリア抑留者支援・記録センター」からお借りしたものである。同センターでは他にも、前述の2団体に関連するものに限らず、多くの抑留者やその遺族からの資料を預かったり引き受けたりしてきた。
代表世話人の有光さんは戦後補償に関する活動をしていた縁で、シベリア抑留問題に携わるようになったという。体験者遺族のような当事者性を持たずとも、抑留体験者がある志を持って集まり活動していた記録を、引き継いで未来に渡していくことができる。その可能性を希望のように感じる。
今年も「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」が開かれる。21年前の第1回は参加者約50人のうち、ほとんどが抑留体験者だったそうだ。2023年の第21回に参加できた体験者は3人で、その1人は昨年末に他界した。だが、彼らの姿を見ることができなくなっても、志は受け継ぐことができるだろう。
私も志のバトンを受け取った1人なのだ。今年の8月23日も、私はそのことを心に刻む。
注
『読売新聞』が「ソ連国家防衛委員会決定9898号」の全文コピーを入手し、翻訳して掲載している。「「日本軍捕虜50万人移送せよ」 スターリンが極秘指令 47年ぶり全文入手」『読売新聞』1992年6月3日、1、4頁。
『全抑協広報』第362号(2011年6月15日発行)、1頁。『全抑協広報』は「全国抑留者補償協議会」の会誌。
『オーロラ』第47号(2011年8月15日発行)、1-3、30頁。
フィリピン人元慰安婦を日本で支援している人物として、元慰安婦の女性が執筆した本の1992年10月に関する記述に有光さんの名前が登場する。Henson, Maria Rosa L., $${\textit{Beyond the Destiny of the Slave}}$$(藤目ゆき訳、『ある日本軍「慰安婦」の回想――フィリピンの現代史を生きて』岩波書店、1995、189頁)。
堀川優奈(ほりかわ・ゆな)
『戦争のかけらを集めて』担当章
・書かれたものをとおして戦争体験者とつながるには
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