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小さな叫び声

さて、時刻は1時20分を回りました。

今日は、9月5日をもって閉幕した渋谷ズンチャカ!2021について書きます。
今、オンライン打ち上げ直後である。寝なければならないが、打ち上げで気持ちが高ぶったので書く。

そして今回は、感想ボリューム1である。
ボリューム2や3がうまれるかもしれないので、ボリューム1とする。


今年の渋谷ズンチャカ!はオンライン開催で、無事に閉幕した。
開催1ヶ月前を切ってから配信に切り替えて、全てひっくり返して計画し直したが、成功裏に幕を下ろした。そして、本当に今年もやってよかったと思っている。恐らく携わったみんなもそう思っている事でしょう。

なお、僕は今年はキャプテンというものと、ラジオドラマに男子高校生役で出るということをやりました。

「授業だりー」の図。学ランに憧れていたので着れて良かった。


今年の渋谷ズンチャカ!、やってよかったと思う理由は我々チーム・ズンチャカの意地を示せた事、何を大切にするかを明確に感じ取れたことだと自分では思っている。


渋谷ズンチャカ!はとにかくなんでも自分たちの手でつくる。

ビールもつくる。

無観客なので提供はせず、スタッフがオンライン打ち上げで美味しくいただきました。


まちなかに貼っているフライヤーも手づくり。


オンライン開催に変更になったら、それを知らせるアップデート版のフライヤーも手づくり。

ちなみにこの「今年はオンラインで開催!」は仲野の手書きである。

なんでも自分たちでつくる。

ここには、みんなの「やりたい!」という熱量が詰まっている。何を隠そう、ボランティアなのだ。無給なのだ。なぜここまでやるのか?

これは、ある種の哲学であると思っている。そして、それが渋谷ズンチャカ!の良さの根源でもあると思う。

自分たちの手でつくるということ。そしてそれを知ってもらいたい、楽しんでもらいたいと発信すること。これこそが、渋谷ズンチャカ!のエネルギーである。

私がつくったものを、あなたに見て、触れて、楽しんでもらいたい。明確に作り手たる私がいて、あなたに伝えようとしている私がいる。これが存在している尊さを渋谷ズンチャカ!を通して強く感じている。

ともすると、私たちがやっていることの結果だけを切り取ると、まちの掲示板に貼ったフライヤーを何人の人が見てくれたのか、配信の視聴者数はどうであるか、という問いになると思う。
効率を求める人に言わせれば、「無駄なことをしている」と思われるかもしれない。

確かに、渋谷のまちを自転車で走れば、街ゆく人のほとんどは渋谷ズンチャカ!が開催されている事実をしらないまま9月5日という日を過ごすだろう。私たちがしていることは、渋谷の街の片隅で小さな叫び声をあげているだけなのかもしれない。でも、その叫び声を上げること、上げ続けることが大事なのだと思っている。

今年も、コロナ禍だった。
なぜ開催するのかを問われた渋谷ズンチャカ!だったと思う。

対外的なブログにはもう少しきれいな言葉で書いているが、今年は意地を見せた年だった。

私たちは、自分たちが楽しいと思うものをあなたにも楽しんでほしくてつくった。
これを叫ぶ意地を見せたことに価値があると思っている。

僕は今年のチーム・ズンチャカ!のキックオフで
「今年はこのギターを持って、渋谷の街のど真ん中で『俺はここにいる!』と叫ぶためにやる。」と宣言した。

結果、街のど真ん中ではなくなった。なんなら、何人の人が僕の姿を見てくれていたかわからない。

でも、叫んだ。
ズンチャカ!を締めくくるフィナーレの舞台で、宣言通りギターを持ってステージに立っていた。そして間違いなくあの時僕は叫んでいた。

はじめてギターを持ってステージに立った。

キックオフのときは「なんか目立ちてぇ!」ぐらいの軽いノリだった。
一方、ステージに立った頃には、このコロナによる配信への変更で気づいたズンチャカ!の良さだったり、みんなが準備にかける思いだとかを一身に受けて、小さな叫び声を上げていたと思う。

僕たちは、自分たちの手で配信での開催をやり遂げた。そして、これはとても面白いものだった。

それを伝えたかったこの叫びが、たった一人でもいいので誰かに届いてくれていたら嬉しいと思った。

おやすみなさい。

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