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マスクは思いやり(20220426)

4月から長男が小学校に上がり、今のところ毎日楽しそうに通っています。

入学後早速着せ替え人形化していたので、私も少し出社時間を遅らせて、自律的に準備が出来る様に働きかけることにしました。
『決められた時間に間にあう様に準備する』って事も、やらされてる間は嫌そうにしてたけど、私から「ギリギリでも間に合えばいいよ」とか言ってると、自分は待たれたくないから早く行くという意思表示を見せ始め、自分の頭で考えて行動する姿に頼もしさを感じるここ最近です。

さて、そんな長男の入学式の日、子どものクラスの扉に上の写真が貼ってありました。

『マスクは思いやり』

つい写真撮っちゃいましたよね。その通りだなと思って笑笑

ここんところ、正直SNS上で見かけるマスクやワクチンに関する意見を見るたびに正直どうでもいいというか、さもワクチンやマスクに対してのスタンスを示す事こそ“自分らしさ“かのようなご意見の数々にウンザリしてまして、今思えば正直心を一部侵食されてたなと思います。

そんな人たちにこのメッセージを少しでも感じて欲しい!!

…という自分のエゴがまさに全開で、危うくTwitterに書き込む所だったんですが、また外に魂を奪われていることに気づき、そっと刀を鞘に収めました。

でまあ、二週間してこうやって結局公開しているんですけど、実は数日前に自分の中で気づきがありして。

昨年から農地を借りて畑で野菜を作っていまして、そこで“自然農“という手法で栽培をしているんです。自分なりに情報収集した上でそれが一番“良い“方法だと思って。
そんな中、父はすぐ隣で“慣行農法“と呼ばれる、畑を耕すタイプの一般的な農法を始めました。

その様子から、「なんで自分の言ってる事が分かんないんだろうな…」とも思っていたし、その上私の“自然農“には農業が専門の職を持つ友人も深く興味は持ちませんでしたから、私にはその人たちの、その理由が数日前までは分かんなかったんです。

しかし、両方の農法を毎日見ていると、同時期に植えたじゃがいもの芽の出方が、父の畑の方が成長が早く均一なんです。それを見ながら、様々な分野が飛躍的な進化を遂げた現代において、そこから編み出された農法にはやはり“効率的である“という最強の武器があるなぁと実感を持ってそれをその友人に話したところ、

「そうなんよ!化学肥料が出現してから今の人口増局面になった訳で、自然農じゃあ現代人の食糧は賄えんと思うんよね。」

と言われて、ハッとしたということです。結局、自分と友人では視座が違ったんですよね。友人はその分野のプロとして、大志を持って臨んでいるんだと。

それを今日振り返りながら、この『マスクは思いやり』を思い出したんです。これも、視座の違いから生まれる感覚なんだろうなと。

スピリチュアルに傾倒する気はあまりありませんが、『ワンネス』という概念に根本を置いて物事を考えれば、自分の身の回りに起こる出来事は全て自分の肯定材料でもあり反省材料でもあると思います。
私にとってワクチンを打つことやマスクを着用することの判断は、自分のリソースを割くほどの事象ではなく、興味もなければ何の価値も見出せません。
そんな価値を見出せない小さな判断を下した自分を『ある派』『ない派』に区分けされることこそが煩わしくて、そういう人をついついみみっちい奴だなと感じてしまうのですが、
その人その人の経験から来る“視座“で物事を見据えているのですから、そこにも私が立ち入るほどのことでもない。目の端に置く必要もなくスルーすればいいだけの話で、
そこに囚われている自分は、まだ何か自分を魅力的に見せたいとでもいうようなエゴに囚われてあるのでしょうね。

あらゆる属性を認め、協力し合う精神からきっと“共感“が生まれるのでしょうから、
“共感デザイナー“を目指す私にとっては、こうしてSNSで多様な意見を日々目にしながら、共感する点にだけ焦点を当てる事が出来る様になるための訓練だと思い、
この想いを忘れないようにしたためておきました。

駄文長文失礼致しました。最後までお付き合いいだきありがとうございました🙇‍♂️✨✨

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