ビジョナリーな連続起業家「小林一三」

2020年に読んだ一番の本は、間違いなく小林一三-日本が生んだ偉大なる経営イノベーター-で決まった。それぐらい面白かったし、刺激された。勢い余ってnoteを書き始めてしまった。

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小林一三は主に第二次世界大戦前に活躍した起業家。「世はこうなる」「世をこうしたい」をブレンドさせて、それを実現するための会社を次々と創業して成功させた、典型的なビジョナリーな連続起業家。イーロン・マスクとか近い気がする。代表的な会社は阪急電鉄、東宝、宝塚歌劇団、阪急百貨店だけれど、それ以外にも電力会社やホテルなどを創業したり、成功に導いたりしている。何より感激するのは、これらを「儲かると思ったから」始めたわけではなく、確固たるビジョンがあり、それを成し遂げるために行ってきたということ。しかもそれを人生をかけてずっと一貫性を持ってやっていること。

彼のビジョンはシンプルで、「人口が増加していく世においては、大衆の成長が必要である。それには、上流階級に限定されていた生活や娯楽を、大量生産を通じて大衆に提供することが必要である」というもの。尊敬すべきなのは、「世はこうなる」という世の中の流れに関する(正確な)予測と、「世をこうしたい」という自らの想いの両方をもっていて、その二つをブレンドさせたビジョンを掲げていること。ウイルスによって世界が大きく変わろうとしている今、小林一三のような、予測と想いがブレンドされたビジョンを持って仕事に当たりたいなぁと、しみじみと思う。

例えば、彼が阪急を成功させる以前は、鉄道会社自身が不動産事業や小売事業などを通して鉄道需要を創出するということはなかった。要は、鉄道は線路を引くだけだった。しかし彼は、新しく生まれてくる大衆のための住居を作り、娯楽を作り、百貨店を作り、しかもそれらを基本的には大量生産することで(宝塚歌劇団であれば、劇場を大きくして一回あたりに観覧できる人数を増やすことで)値段を徹底的に下げて、大衆がそれを消費できるようにした。そのビジョンは東宝を作った時も、電力会社を経営した時も、ホテル作りに協力した時にも継承されていて、いかに値段を抑えて多くの人に「水準の高い」ものを提供できるかに徹底的にこだわっている。さらにすごいのは、その実現のためには徹底的に業界監修にも楯突く(なので敵も多い)し、利益も重要視しない(薄利を優先する)こと。

私は国民の見るべき芝居は、国民の生活状態を基礎としなければいけないと信じている。国民の生活程度を標準として考えると、家庭本位に、家族がうち連れてゆく芝居見物は一人前一円くらいの観覧料が最も適当であると思うものである。そこで一円でみせるにはどうすればよいか。芝居の実質を低下せずして、国民の希望に沿うには収容力の増加より道はない。

小林は演劇における「松竹的なるもの」がなにもかも気に食わなかったのである。たとえば、「組見」という芝居のセット販売。すなわち、いくつかの芝居がセットになっているため、見たい芝居が一つしかなくとも高い金を払ってセットを買わなければならない。いうなれば、芝居の抱き合わせ販売である。あるいは、「連中」という一種の「系列」的スタッフ集めの方法。そして団体割引。また、売れっ子の俳優や演出家にだけ法外なギャラを払うという慣習。また、批評家や新聞社との批評性を欠いた馴れ合いなど、ようするに演劇界を支配する旧来的な慣習が大嫌いだったのだが、しかし中でも一番嫌いだったのは、その前近代的な経営方針であった。

僕のような人間にとって勇気づけられるのは、彼は34歳に三井銀行を退職するまでは大したことをしていないかったり、70歳をすぎても自分のことをクセの強い人間として開き直っているところだったりと、身近に感じられる部分があるところ。偉人も自分も同じ人間だよなということを思い出させてくれる。

「人間には誰にもクセがある。僕もクセが多すぎるとよく世間から言われる。しかし僕は僕のクセ通りに仕事をするから、うまくゆくのだと思っている。」

小林一三は故人だから、彼が亡くなるところまで書籍には書かれている。偉大な経営者の物語を、ゆりかごから墓場まで読むというのはとても贅沢な体験だと思う。綺羅びやかな成功譚だったり、論理的に整理された経営書も良いけれど、成功だけでなく失敗や、かっこいい意思決定だけでなく苦悩や優柔不断な側面まで全てを含んだずっしりとした本も、たまにはよいなと思った。学びが多いだけでなく、小説を読むような面白さもあって、得した気分。おすすめです(長いけど)。

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