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次の推しが卒業してしまう前に

 僕の得意分野であるコミュニティについて思いを巡らしてしまうような話題が、たった一年の間に色々とあった。西野亮廣さんが、彼自身が運営する会員制オンラインサロンの会員をうまく巻き込んだ映画の宣伝活動を行い話題(炎上)となったのが約一年前。春先からオリンピックに対して選手が発信する声明が炎上したり、オリンピックそのものでも、ソーシャルメディア上での選手への誹謗中傷が問題となった。NFTゲームにおけるコミュニティ・マネジメントが大きな課題として取り上げられているという話も耳にした。そして、もうそろそろ年末を迎えようとする頃、乃木坂46からも大きな話題が届いた。生田絵梨花さんの卒業である。

 生田絵梨花さんは僕の推しである。では、推しているとは一体なんなんだろうか。昨年芥川賞を受賞した「推し、燃ゆ」では、推すことを自らのアイデンティティとしていた主人公が、突然の推しの喪失に対して醒めることも、向き合うことも不思議と許されない葛藤を生み出すものとして描かれている。「推しエコノミー」では、お一人様でも幸せでいられる時代に、性愛・結婚・出産から隔絶する「恋愛」に近いものとして発展したものだと書かれている。「推し」という単語に食傷気味のあなたには、その概念がはっきりとは定着していない欧米圏の「熱狂的なファン」程度の定義の方がしっくりくるのかもしれない。

 ところが、これらは僕の実感とは大きく違う。確かに生田絵梨花さん(と秋元真夏さんと久保史緒里さん)は僕の推しである。ただ、実感でいえば、全てのアルバムを絶対に買うと決めているスピッツ、新しいハードがでたら必ず買う任天堂、ほぼ全ての書籍および推薦図書を読んでいる経営学者の楠木建さんは全て「推し」である。でも、僕はスピッツが例え活動を休止しても葛藤はしないだろうし、任天堂に恋愛感情を抱きようもないし、経営学者の熱狂的なファンであるとはさすがに自認していない。「推し」とはなんだろうか。せめて自分の中での定義ぐらいは見つけたい。

 最近、仕事ができるとはどういうことかという本を読んだ。そこでは、センスとスキルを対比させて論じていた。曰く、センスが一言では表現できない綜合的なものである一方で、スキルは明確に評価できる分析的なものであると。買い物も同じだよな、と思う。誰しもが、「これってセンスがいいよね」って買い物をすることも、「これってスキル(スペック)がいいよね」って買い物をすることもある。そしてある対象について、何度も「これってセンスがいいな」と思い続けているうちに、ある時そのセンスを信頼するようになる。それが「推し」ている状態ではないかと思う。

 だから何かを「推し」始めるには時間がかかる。最初からスピッツを推していたわけではなく、何作も、十何年も作品を聴きつづけて、あるところで「こいつら外さない…センスいい」となるし、楠木建さんの本も5-6冊読んだところで「この人の切り口センスいいな」となる。生田絵梨花さんについても、はっきりと「推し」ていると思うまでに2-3年あったような気がする。

 2022年はどういう一年になるのだろうか。勤め先にてそろそろ大きな成果を出したいところである。思えば、過去何年間で多くのことを学んだ。でも、それはスキル。成果は「スキルが足りているから」出せるものではないと、誰もが知っている。生田絵梨花さんの卒コンを生で観たり、卒業に向けたいろんな取り組みを見ているけれど、そこにはとにかく彼女らしさがあり、センスがいいな、と思う。だからこそ、来年は自分という原点に立ち返って「自分のセンス」を信じて戦えたらと思う。

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