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「やりたい」を一つでも多く

#思考の共有002

「やりたくない」ことや、「やらなきゃならない」ことをやっていてもちゃんと時間は過ぎていく。そればかりやっていて一生が終わることだってあるだろう。
「やりたい」と思えるようなことを、「やらなきゃならない」ことだらけの荒野のまん中に、しぶとい雑草のように植え付けてやるんだ。そいつが広がっていくうちに、鳥もくるだろう。素敵なことに、人だって集まってくるんだ。笑顔やら、たのしい話やらをみやげにしてね。

(糸井重里:ほぼ日手帳の言葉)

大人になる前は、「やりたい」ことが意識の中でも、日々の中でももっと堂々とのさばっていて、幅を利かせていたもの。

それなのに、大人になり、組織の中で仕事をし始めると、「やらなきゃならない」ことに囲まれることが、あっという間に当たり前になり、慣れっこになってしまう。そればかりか、「やらなきゃならない」ことをやるのが責任ある立派な大人なのだと、あたかもまともな大人であることの要件であるかのように言われたりもする。

不思議なものだ。

「やりたい」を少しでも植え付けること、こだわりたい。
「やりたい」は人の生き生きした命から出る思い。人の栄養になるような思いなんだと思う。「やりたい」には他の人の「やりたい」を呼び起こし、「みんなのやりたい」に育っていく可能性もある。

みんな「やりたい」が好きなんだよな。
それを大事に育て、つなげていったら、いい場所が作れるに違いない。

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