役に立てる能力?
#思考の共有004
こんなことないですか?
気持ちのいい朝、真っ青な空をみていると、
世界ってきれいだなぁ、と嬉しくなって、
力が湧き上がってきて、
人生の中でなにかをなしたい
何か世界の役に立ちたい
そんな思いが身体を満たす。盛り上がる気持ちにのって、自分に何ができるか思いを巡らせる。
自分はどんなことで役立てる能力を持っているのだろう
自分がどんなことが得意なんだろう
少し考えてみるけれども、よくわからない。
うーむ。
もう少し考えてみるけど、うーん、やはりわからない。
自分は自身を持って言えるほどの特技もないな…
人一倍役に立てると言うほどの能力があるわけでもないし…
さっきまでの、役に立ちたい!という気持ちは急に色あせてくる。
自分が役に立つなんておこがましいのかもしれない…
人の役に立てるのはまだまだ先のことなのかもな…
今はそんなこと考えていないで自分をしっかり鍛えなくちゃ!
僕自身、これまで随分長いことこのルーチンを繰り返してきた気がします。
が、少し前にやっと気がつきました。
みんなだれでも、どんなに若くても、大した経験がなくても、役に立てること、世の中をよく変えるためにできることはたくさんあります。だれにでも、いくらでも、です。
上の思考の流れの中での脱線ポイントは、自分の能力や特技のようなものに思いを向けてしまう部分です。実は、自分の能力や特技をいくら深く吟味しても、どのような形で人の役に立てるかはわからないです。
まず、人の役に立てるかどうか、どんな形で人の役に立てるかは、人が決めることであって、自分が決めることではありません。重要なのは相手のニーズであって、こちら側の希望ではないので。
そして、他の人のニーズについて我々は結構わかっていません。
さらにややこしいのは、自分の能力や特技についても我々はよくわかっていません。概して、何か(たとえば、段取りをしっかり組むとか、すごく気が回るとか)が得意な人は、そのことをいとも簡単にやってしまい、自分では大したことをやっていると思っていなかったりします。「得意」とはそうしたものです。したがって、自分で考えても、本当に得意なことが意識されないことは往々にしてあります。
自分がどのように人の役に立てるかは、自分で考えてわかるものではないように思います。それどころか、考えてもわからないことを誤解してしまい、自分は役に立てない、と諦めてしまうことにつながるかもしれません。
それよりも、ひとつでも人を助けることをやってみるといいかも。何も大層なことやる必要はなくて、自分に手伝えること、手助けできることを引き受けるだけでいい。特に、自分には大したことではないと思えることは、自分が得意なことである可能性が高いので、積極的に引き受けてみてもいいかもしれません。
そんな風にしていくと、自然と周りの人が自分のことを「◯◯のプロ」とか「✕✕の達人」とか呼ぶようになってきたりします。そうして初めて、自分はこういうところに役に立てるんだとわかって驚く、みたいなことがおこったりします。
ということで、なにか世のためになることがしたい!と思ったら、とりあえず身近な手助けを繰り返すところから始めるといいかもしれません。
自分に能力があるか、その資格があるか、などと考えて、何もしなくなってしまうのは、自分にとっても、世の中にとっても残念、大変な損失です。考えすぎず、どんどんやるのが吉!
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