見出し画像

『誰が興味あるねん?』第5話…⭐︎

“ブルージー”という会社がビーイング・グループと後にGIZAにも大きく関係している事なんて全く知らないまま遂にサポート・ドラマーとしてのスタートを切りました🏃‍♂️(?)

それまでは週1回大手音楽教室の講師として京都の楽器店へレッスン(いまだに行ってます😄)と奈良のとあるスタジオでスタッフとして店番していたのが主な日常でしたから事務所所属のアーティストのサポート・ドラマーをするなんて少し浮かれてしまいます🤏

1997年の2月か3月くらいからリハーサルが始まったと思います。

その時、この“WAXX”と言うユニットのライブは決まっていませんでした。
それ以前にライブは数回されていた様ですが。

週1回くらいでリハーサルをやっていたかな…ライブ前は少しリハが増えた様な気もします…オリジナル曲を2〜3曲とカヴァーを4〜5曲くらいをやってたかな…あやふやですみません。

また昨年の引越しでこのプログラムのライブ映像のビデオテープが出てきました📼
1997/07/20と書いてました🖋
映像はこのプログラムだけでしたが他に幾つかバンドが出ていたと思います。
内容は35分くらいのライブでした🎤

若い😱皆んな😱色んな意味でも😱

カヴァー曲でスペンサー・デイビス・グループの曲を凄くアレンジしていてカッコ良かったですね…ギタリストのW氏がアレンジしたのでしょう。
その当時から素晴らしい才能を発揮していました💥

他にレッド・ツェッペリンの“ロックンロール”もやってました。
コレは原曲風で。
頭のフィルは例のフレーズをやってましたがリズムパターンの左手は出来てませんでしたねぇ。
まだまだ未熟者でした😅←じゃあ、今出来るかと言われても😲

ボクが言うのも何ですが、メンバー間のコミュニケーションも上手く出来ていて相性も良く全体的に良い雰囲気だったと思います。←何を偉そうに😂

だがしかし、そのライブ後のリハーサルは一旦ストップする事になりました。

ガーン😨
幻のサポート・デビュー!?

結局、色々な事情もありこのユニットにとっては前向きなストップだったのですが…

この業界の大変な所でもありますね。
雇われミュージシャンの性とでも言いましょうか…この頃なんて当然ドラムだけで生きていける収入は無いので、教える仕事やレンタルスタジオの店番などのバイトをしていました。
プロを目指して行動した事のある方はお分かりだと思いますが。

大体月末に翌月のリハーサル・スケジュールが出る→上手く他のバイトが調整出来る環境をなるべく作る→そのまま頑張り続ける→ライブやリハーサルなど演奏の仕事が多くなっていってバイトと演奏の比重を入れ替えていく…という流れで仕事として成り立っていくのが理想です。

という過程が、リハーサル・スケジュールを調整してバイトを代わってもらう→月初めに決まっていたリハーサルが無くなる…バイト代わってもらっている→収入減る😭という事も多かったですね。

本物のプロになる為の厳しい一面を経験しました。

まあ、仕事内容によってはキャンセル料として半額貰える事もありますが…なかなかそういう事はなかったかな?(※あくまで個人的な話ですが)😅

結局そのプログラム“WAXX”ではライブを1回やっただけで終わりました🥁

そしてボク自身の身体に少し異変を感じるのもこの時期でした🧎‍♀️

この続きはまた次回に🙏

しかし、🙋‍♂️『誰が興味あるねん?』🙋‍♂️

👋👋👋


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?