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グルメな夫、まな板を買う

グルメな夫が檜のまな板を買った。良質な木のまな板を持つのが夢だったらしい。約20年前に新築した家のキッチンに立ったとき、グルメな夫はキッチンの立派さと調理器具の貧しさのギャップに胸を痛めたに違いない。小さな木のまな板と大きな野菜包丁はグルメな夫にとっては使い勝手が悪く、しばしば私に野菜を切る手伝いをさせていた。しかし、ついに状況が一変する日がやって来た。
道の駅の外で、冬の冷たい風が吹く中、木工品を売る人がいた。他に客はいない。彼の前にはずらりと檜のまな板が並んでいた。グルメな夫はその中で一番長くて大きなまな板を買い求めた。ちょっとした流しならそのまま差し渡して使える大きさである。
「安くしておきますよ。」
木工品売りは嬉しそうに数百円値引きをしてくれた。
まな板がほしいなら20年も待たずに買ったらよさそうなものだが、グルメな夫はまな板をつくる人から直接買う機会を待っていたのだという。グルメな夫は数百円の値引きを受け入れ、木工品売りと幸福感を分け合った。
もしグルメな夫がインドネシアでまな板を買っていたら、逆に自分がいくらか上乗せして払っただろう。木工品をつくる人への敬意を表せるからであり、また、それが『自由喜捨』になるからである。イスラム教徒の自由喜捨は、『憐れんで恵んでやる』のではなく、仏教徒の『徳を積む』感覚に近いと私は思う。「お金をあの世に持っていけるわけではないしね」が口癖の私は、グルメな夫の「敬意を表したい」に「ふむふむ」とうなづく。

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帰宅するや、グルメな夫は新しいまな板をかかえて記念撮影をした。よほど嬉しかったにちがいない。グルメな夫は新しい檜のまな板とドイツ製の小さなナイフで野菜を切るのを楽しんでいる。小さなナイフを使うのは、大きな包丁を使ったことがないから。大きな包丁は怖いと言う。私が手のひらに豆腐をのせ、大きな野菜包丁でそれを切っているのを見かけたときなどは、ドッキリするらしい。
しばらく前にプラスチック製で極小さいまな板を買ったのはなぜかときいてみたら、
「果物をカットするときに使うカッティングボードは小さいほうがいいからね。」
だそうだ。料理をするときに使うわけではない、ということだろう。私からすればどちらもまな板なのだが。

新しいまな板をもったいなくて使えない私は相変わらず小さなまな板を使い、大きな野菜包丁で野菜を切っている。


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