野球少年だったあーくし

どうも、吹団あどべんとかれんだー12/21担当のあーくし(@toshi_utsb7777)です。12/21がわが弟の誕生日なのでなんとなくこの日にしてみました。めでたい


自己紹介

筑波大学の総合学域群第2類(理系Ⅰ)所属、筑波大学吹奏楽団でクラリネットを吹いてます。
吹奏楽を始めたのは高校生のころ、それ以前は長らく野球をしていました。まさに異色の転身です。各所でなんで野球部から吹奏楽部になったのーと聞かれます。ということで、今日は僕の野球人生と、何でいきなり吹奏楽に転身したのかについて書かせていただこうと思います。
なーがい文章になってしまいました。暇なときにでも読んでいただけると嬉しいです。

小学生時代

野球を始めたきっかけ

僕が野球を始めたのははるか昔、小学2年生のころです。きっかけは、母に1つでいいから習い事をしなさいと言われたこと。家の目の前の公園でいつも野球チームが練習していたので、とりあえずそこに入ることにしました。正直な話はじめは野球をやることはあんまり乗り気ではなくて、母から「習い事しろ」としつこく言われなくなるからやろうくらいに考えていました。しかし、あーくし少年はその考えとは正反対のようなチームに入ってしまったようです。練習は土日ともあり、どちらも朝から日没まで。練習がないのは年末年始とお盆のみ。中高の部活ではあるあるな気はしますが、小学生だったあーくし少年にとって、土日とも遊べないのはなかなかつらかったです。

キツい練習、怖かったコーチ

練習は身体的にも精神的にも本当に大変でした。お昼休憩以外はほぼ動いてます。ノックをひたすら受けたり、バッティングを練習ひたすらしたり、たまに唐突にグラウンド10周走ったりするし。なにより炎天下で帽子一枚でずっと練習してるのがやべえんだよな…熱中症への耐性はこれで付いたような気がします。土曜の練習が終わって一睡して全然休まらないまま日曜の練習になり次の日は学校に…本当にいつも身体が死にそうでした。

つらかったのは身体だけではありません。メンタルも同じくらい、いやそれ以上にきつかった。というのも、とにかくコーチが怖かったからです。常にピリピリしてて、1ミスしたら複数のコーチから一斉に怒鳴られ、声が出てなければすぐお説教、うまくいかないのが続くとお前は重症だみたいなことを言われたり…。記憶に鮮明なのが小5の時。区大会であんまり強くないチームに普通に負けちゃったことがありまして、その時はもうほんとにものすごかったです。監督がえげつない怒り方してグランドから出ていき、コーチに囲まれてお前らこれからどうしたいんだみたいな尋問が始まって、そのあとの練習もありえんくらいピリピリしていました…。
僕はこういうのが人一倍苦手なので本当につらかったです。よく頑張りました。

栄光の小学6年生

さて、そんなこんなで頑張って練習を重ねてきたあーくし少年ですが、小6になってチームは栄光の時代に突入します。
まず、春の区大会で優勝します。この大会が始まるまでしばらく(半年ちょいくらい…?)勝ち方をすべて忘れたように負けまくっており、チームの雰囲気もあんまりよろしくなかったんですが、3回戦あたりから徐々にチームの雰囲気も良くなり、決勝戦は最終回3点差くらいあったのをひっくり返してまさかの大逆転勝ち。あーくし、大事なところで打ちました😊
そしてこれを皮切りに市の大会、京葉地区の大会でどちらも優勝。京葉地区の大会の優勝で進むことができた、全国から代表チームが集まるような大会も優勝することができました。この大会はプロ野球チームが普段使う球場で試合が行われたので、出れるだけで超うれしかったのですが、なんと優勝。準々決勝であーくし、大事なところで打ちました😊

選択

こんなようにわりといい感じだった小学生時代でしたが、中学生になるにあたってどうしても考えなければならなかったのがどこで野球を続けるか、でした。選択肢としては主に2つ。1つ目がクラブチームに入ること。2つ目が中学校の部活に入ること。
ただ正直どちらも自分にとってはあまりいい選択肢ではないような感じがしていました。4つほどクラブチームの見学に行かせていただいたのですが、小学生時代のチームよりもっと雰囲気がピリついててきつくて、練習も比じゃないくらいくらいきつくて、先輩のノリもあんまり好きじゃなくて…いやだなぁという気持ちは大きかったです。かといって部活だと、わりとゆるゆるで人数がそろわない可能性も大きい、練習場所もほかの部との兼ね合いで広くとれない…これもなんだかなぁという気持ちでした。
長い長い思考の結果、部活に入部することを決め、小学校を卒業。果たしてこの選択が正解だったのかどうか、僕にはわかりません…

中学生時代

"部活"のしがらみ

中学に入学して割とすぐに野球部に入部しました。
同級生は僕を含めて13人入部。そのうち小学生のころにクラブチームに入っていた人は(確か)9人、初心者の子たちも本当に野球が好きで入ってくれた子たちで、人数が揃わないという心配は杞憂に終わりました。
ただ、他の懸念点は想像していたよりもずっときつかった…
まずとにかく練習時間が短い…。冬だと授業が終わってから完全下校時刻まで1時間くらいしかなく、夏でも2時間くらいしかとれず、土日も午前中で終わりなことが多かった。しかも(確か)1年生の後半くらいから部活動ガイドラインとかいう終わりみたいな規制が始まってしまいまして…ざっとまとめると、平日と休日にそれぞれ休みを週当たり1回つくらなければならず、練習時間も平日が2時間まで、休日が3時間までという感じなのですが、これによってさらに練習時間が削られてしまいました。
そして、練習場所がくそ狭い…。そもそもグラウンド自体があまり大きくなく、その上サッカー部がグラウンドの1/2、ソフトボール部が1/4を占拠していたので、我々は残ったグラウンドの1/4しか使えなかったんです。その結果まともにバッティング練習や外野ノックができませんでした。
さらに、顧問が野球経験者ではありませんでした。3年生の時野球経験者が顧問になったことがありましたが、その顧問もいろいろあって一瞬でやめちゃって…
今考えると(あまり環境のせいにしたくはないが…)本当によろしくない環境だったと思います。

暗黒時代

上で述べた通り環境としては最悪でした。ただもっと最悪だったのは、モチベーション管理が全く出来ていなかったことだと思います。
1つ上の代の夏が終わり、我々の代になってからが本当に地獄でした。
まず練習に来なくなるやつが出始めました。5人です。13分の5。みんな練習に来させたかったと思ってはいたのですが、当時の僕の力ではどうしても無理でした。しかも5人のうちの一人は部で一番やる気があったやつで…病気で来れなくなっちゃって、本当につらかった。
先生の対応にも嫌な気持ちは正直ありました。やる気のある人を試合に優先的に出したいのはわかるんですけど、それで試合が成立しなくなることが何回も何回もあって…。何度も何度もやめてほしいって話したんですけど、全く聞き入れてくれず…。
そして、僕自身も部長をうまく務められませんでした。当時の自分は練習の大切さを理解できていなかった。浅はかでした。みんなを一生懸命練習するぞ、という雰囲気にできなかった。ここが一番よくなかった部分だと思います。
3年生の時野球経験者が顧問になりました。彼はモチベーション管理の天才で、すさまじい観察眼を持っていたので、1人1人に合わせた対応をしてくれて、一時は全体の雰囲気がガッと上がったこともありました。目に見えてチームが強くなっているのが自分にはわかりました。しかしいろいろトラブルがあって6月くらいにやめちゃって、また野球未経験の顧問に戻ってしまい…。結局最後の夏も予選敗退。
本当に何もかみ合いませんでした。うまくやる方法は絶対にもっとあったと思います。

吹奏楽を始めた理由

あーくしと音楽

僕がなんとなく音楽が好きなことはだいぶ昔から気づいてはいました。幼きあーくし少年は楽譜読めないからって自分で楽譜を開発しようとしてみたり、プロ野球スピリッツを応援歌を作るゲームだと思って遊んでいたり、ピアノを弾いているところが好きでようつべでピアノ演奏の動画ばかり見てみたり、耳コピも割とずっと趣味としてやっていました。ただ、何か楽器を習っていたわけではなかったので、このままだと永遠に簡単な趣味の範疇を出ないなぁ、どこかで真面目に音楽をやりたいなぁとはずっと思っていました。

野球をやめる決断

ただ、吹奏楽を始めるかもと僕が言い始めると周りの人間にめっちゃ驚かれました。100万回くらいオーバーリアクションな「へぇー」を聞きました。野球から吹奏楽への転身なんて珍しいし、そもそもうちの中学は吹部=女の子のイメージが強かったので、それも驚かれる原因だったかもしれません。
反対もされました。特に強く反対されたのが野球仲間の親たちと当時の担任です。「お前が甲子園に出てるところを見たい」と前向きな説得をしてくれた人もいたけれど、当時の担任も含め大半は「野球をやめるなんてもったいない」「スポーツやめるなんてもったいない」って感じの言われ方でした。なんか嫌じゃないですかこの言い方…。でも、担任のことはめちゃくちゃ信頼していたし、7年やってきた野球をここでやめてしまうのもなぁ、という気持ちもあったので無茶苦茶悩みました。揺れに揺れました。
ある日のこと、中3の11月くらいだったと思いますが、いつも通り塾に行こうとしていたら小学生時代の野球の監督に出くわしました。案の定進路の話とかになったんですが、最後に「自分のやりたいことをやるんだぞ、無理に野球を続ける必要はない」みたいなことを言ってくださったんですよ。
家帰って号泣しました。こういう言葉をかけてくれる野球人は誰もいなかったから、自分が変なことをしようとしている、野球を続けるべきなんだという気持ちを自分の心に無理強いしていたので、これをきっかけに自分の意志で自分のしたいことを選ぶ気持ちになりました。

吹奏楽を始める決断

高校はそこら辺の公立高校に受かったのですが、本当に吹部に入るかは正直決めあぐねていました。というのは、中学の担任と同じく、自分もスポーツをやめてしまうのはもったいないと感じていたから。あと、当時のあーくし少年は女子ばかりの環境がとにかく苦手だったってのもあります。とりあえず運動部を順繰りに見学行って、いい感じのところがなかったら吹部に行こうという感じでいろんなところに行きました。まず野球、未練はあったっちゃあったので行ったんですけど、うちの高校の野球部は学校見学の時からやべえ雰囲気なのは知っていたので、早い段階で却下。バド、経験者が多すぎてやっていけなさそうだったので却下。テニス、雰囲気は悪くなかったし初心者と経験者がどっちもいい感じの割合でいそうだったのでいいなと思ったのですが、人数が多くて1年生のうちは走り込みがメインになると言われ、なんだかなぁと思って却下。軽音、練習も毎日やっているわけではなく、どこで練習しているのかもわからなかったので、入りたいなぁとは思っていたけど仕方なく却下。気づいたら吹部に入っていました。

最後に

こんな感じでなんとなく吹部に入って、気づいたら大学でも吹奏楽を続けるってんだから何があるかわからんもんですな。

野球をやっていたことに後悔はないかと聞かれるとそれは全くの噓になるし、なんなら未練はあります。最近高校野球を見ていると、この子たちみたいに僕もなりたかったんだなぁなんて思ったりするし、もう高校生じゃないしこうは二度となれないんだなぁなんていうことを思ったりもします。高校球児キラキラしててかっこいいもんな。なりたい気持ちはめっちゃありました。
かといって吹奏楽を始めたことを後悔しているのかって言われるとそれも全くの嘘です。ようやく真面目に音楽ができて、高校でいい仲間たちと出会って、大学入ってまた楽しくわちゃわちゃできてるので。今とっても生活が楽しいです。

気づいたらなかなかすごい文字数になっていました。レポートもこんな勢いで書けたらいいのにね。
こういう文章を書く経験はこれまでなかったので書くかめっちゃ悩んだんですが、ノリと勢いで書いたらなんとかなりました。楽しかったです。
こんな文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。

では、また。


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