見出し画像

老いの香り馥郁と

部屋のどこからか甘い柑橘系の香りがしてきた。

オレンジも買っていないのに?
何か洗剤か化粧品の匂いだろうか?
私は首をかしげて家人に匂いがするか聞いてみたがわからないらしい。

翌日もそのかすかな甘い香りが鼻腔に感じられる。
でもいったい何の匂いなんだろう?


キッチンの片隅に匂いの正体がひっそり鎮座していた。

しなびれた無農薬の国産檸檬。

使いきれずにそのまま冷蔵庫にいれてあったもので
そろそろ捨てないとと思い外に出しっぱなしにしていたんだった。

そのしなびた檸檬からなんとも心くすぐる香りが。
馥郁たる、という言葉が浮かんだ。

もぎたての檸檬のどこか青さの残るフレッシュな香りは我々のよく知るところ。
この檸檬もきっと最初はそのような香りを発していたことだろう。

しかし今はぎりぎり捨てられるような状況にあって
角のない魅惑的な甘やかな香りをそのしなびた姿から発している。

腐敗の手前の、
まだ生きてここにいる!という無言の訴えかのように


還暦を過ぎ、否応なくも老いを感じる日々がある。

難なくやれていたことがある日できなくなっていたり
当然外見にも衰えを感じる
重力に逆らうパワーもまあ弱まった
気力体力視力記憶力およそ「力」がつく能力は悲しいかな衰えて
忘却力だけ右肩上がり

やんなるぞ

30代の頃、老いない秘訣が書かれた本を読んだ。
そのなかにあったのは、
①意識の持ち方
②生活の仕方
③食事
この三つが正しければ老けない、とあったと記憶してる。

なるほどそうかと特に①に関してはかなり心がけてきたと思う。

「もう歳だから」
なんて言葉はそれ以来禁句にした。
今思うとまだ30代なのにもう年とってしまった、肌がボディラインが体重が云々…と嘆いていた。
あの頃に戻ってふざけんなよその若さで!と自分自身を蹴飛ばしたい。

誰かの「もうおばさんだから」を聞くたびに
それを言ったらそうなっちゃう、と危惧し他山の石にさせてもらった。

年齢なんて数字の記号であり、主観年齢が実年齢、とも聞く。
自分は何歳、と思っている年齢がその人をその年齢らしく見せるという。

意識に気をつけてたせいかどうか私は実年齢よりは若く見られることもあるが、
しかし残念ながら体はたぶん年齢プラス10歳くらいいっちゃうかもだ。
これはおそらく➁と③がおざなりだったからだろう。
後悔先に立たず。

最近はどうか。
あれほどかたくなに意識意識となってたくせに、
気がつけば老いいく自分がものめずらしいというか、
観察・発見がちょっと面白くもあり、SNSでつぶやいたり同年代の友人と共有したりしている。
まったく〇〇でさぁ、やんなっちゃうよねえ笑笑と。
もちろん悲しく腹立たしいときもあるが。


キューブラ・ロス博士が提唱された死の受容過程、すなわち
①否認
②怒り
③取引
④抑うつ
⑤受容
と、5つの段階があるが、誤解をおそれず言えば
老いを受け入れるということもこれに近い気がする。

私の場合、③と④を行ったり来たりしつつちょっとだけ⑤に足を踏み入れているような。
それでもまたきっと①に戻ったり②になったりを繰り返していくのかもしれない。

そこでだ
今回のしなびた檸檬の発する香りにだいぶヒントと勇気をもらった。

たぶんまだそこまで私はしなびれてはないだろうが
これからどんどん萎みゆく先にあのような芳香を発するようになれるだろうか。
それはその人間がこれまでどう生きてきたかで決まる、
直感的にそう感じる。

老いてなお完熟したまろやかな芳香を放つ

そんな人間になりたいと思う。

さて、件の檸檬だが
これから割ってみようか……
まだいけるか?





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?