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トカゲのしっぽ

沢山の哲学者や精神科医が言うように
過去に囚われて生きる事は
意味がなく、精神衛生上辞めるべきだ!

僕もそう思う

今を生きたいし
いつまでもウジウジ考えているのも嫌いだ

でも、心というのは難しいもので
やめようと思ったからと言って
そう簡単にやめれるものでもない


最近あった僕は、過去に囚われる
思考の持ち主なのだと痛感させられた出来事の話


古本屋に行った帰りに
たまたま乗ろうとしたバス停の横が古着屋だったので
バスを待つ時間をそこで潰そうとふらっと入ってみた

そもそも僕は最近まで古着屋が嫌いだった
右から左へ幾つも服を流して行って
やっと見つけたお気に入りも
サイズが合わなければ
どうしようもない

この、一方的に降られる様な感覚が
横行しているから
古着屋と言うのが苦手だった

しかし、逆に言うと
サイズもデザインも気に入った服に出会えたら
通常より安価で服を手に出来ると言う喜びが
最近になって少しずつ理解できてきた

そして、先日も
そんな素敵な出会いがあった
3着服をみつけて
手で持つのがかさばるので適当な棚にまとめて掛けていたら

そのうちの一つを
他のお客さんが持って行ってしまった。

まあ、しっかり持っていなかった僕に非があるし
「それおれの!」
と言えるほど気が強くもない僕は
そのまま残りの2着を買って
予定より二本後のバスに乗った

しかし家に帰ってからも
残りの1着が気になって気になって
モヤモヤしてしまった

買えた2着には本当に満足しているし
素敵な暇つぶしだとも思っている

でも、それよりも
手に出来なかった、残りの1着が気がかりで仕方ない。


そんな気持ちで
古本屋で買った本を読んでいると
トカゲの話が出てきて

ふと思った
僕がもしトカゲに生まれていたら
生き延びれた事より
切れて置いてきてしまった
しっぽを悔やむのだろうと

文章にすると
すごくバカらしいし
生き延びれたのだから、丸儲けな筈だが

きっと、新しいしっぽが生え揃うまで
僕は置いてきたしっぽを思って涙するのだろう

もしかしたら、
生えてきた新しいしっぽを眺めてもなお
過去に切り落としたしっぽを懐かしむかもしれない。

トカゲじゃなくて良かった。

トカゲでも良いから、
生き延びれた事を喜びたかった。

どっちが幸せかな?

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