土佐山アカデミーと、言葉vol.07「GW 2022」
「この状態、僕なりにオモシロガラせてもらいますよ」
4月末、GW中の土佐山アカデミーとの定例。開始時間になっても吉冨さんが現れない。
20分ほどして画面がオンになると、帰省中のサービスエリアで寝坊していた、とのこと。人気者(忙しい、の別称)であることを知っているので心配することはあっても怒ることはありませんが、発言がだいぶ夢の中を引きずっている様子。
「これはインタビューにならないな……(笑)」
冒頭の一行は、そこで私が発した言葉でした。
毎月「定点観測」としてインタビューの時間をもらいこのnoteを書いているのですが、その前に、文字数を凝縮したものを「土佐山アカデミー通信」(土佐山で配られる紙)として納品しています。この通信は締め切りが早い。連休も重なっている。そのため前倒してやる必要がある。
せっかく寝坊を「してくれた」のであれば、ネタにしない手はない!そう思って今回の通信はこのような形で納品しました。
どんなGWだったか?大喜利を紙面で行い、2人の回答で完成する形です。決して手抜きではありません。
しかし、さすがにそれだけではnoteは書けません。
ということでゴールデンウィーク明け、答え合わせの時間をもらうことにしました。今回はその時の、ちょっといい話。
連休明け、画面越しの2人はとてもスッキリした顔で登場しました。
「休む」の定義は人それぞれだと思いますが、日常から離れることは大事だな、と思わされました。
さて、GWは何の略?座布団獲得なるか。
吉冨さんの答えは「ご先祖ウィーク」でした。
コロナ禍もあって足を運べてなかった母方のお祖父さんのお墓参りをメインに、地元下関の小中学校、高専も訪ねてみた、とのこと。吉冨さんの肩書きの一つに「アイデアを出す百姓」というのがあります。聞けば、そのルーツはお祖父さんにありました。
農業に従事し米を作り、木や花の栽培も行い、その後は時代に合わせて鯉の養殖にまで手を広げた人物であった。養殖など、後発だからこそ「先発の人たちにどうしたら追いつけるか?」を常にオモシロガリながら追求していたらしいという話に、「あれあれ、こりゃ血だな」と思わずにはいられません。
「ばあちゃんに対する説得も、ゲームにしていたんですよ」課題があったら、こういう工夫で、こんな風にやるから……って、それはもう、説得というよりはきっとプレゼンのように。常に新しいものにチャレンジして行くと必ずハプニングが起きていた、という点も、吉冨さんに受け継がれている気がしました。
下元さんのGWは「Get Wild」。ただしその後に「に、したかった」と補足がつきます。
その単語を聞くと、1970年代の生まれは頭の中でキーボードのイントロが流れるのではないでしょうか。アスファルトでタイヤを切り付けたかったのか?その真意を問えば「野生に還る、当てのない探求をしたかったんです」「具体的にはソロキャンプや夜通し焚き火ですね」とのこと。
下元さんの中で「野生に還る」は頻出単語で、とても大切にしている価値観なのだと思います。東京に比べたら何倍も野生に近い環境であろうに、もっと「研ぎ澄ましたい」イメージなのかとも思いました。
では何をしてたんですか?と聞くと「お誘いを断らなかった」とのこと。
具体的には、自分だけでは行かなそうなワークショップに足を運んでみたり、いつもは仕事でお世話になっている仲の人を訪ねてみたり、実家に帰ったり。帰省中の同じ年の友達と、同世代がやってる素敵な宿に行ってみたり……。
共通していたのは「ちょっと先、こんな感じのことできたらいいな、こういう暮らしをしてみたいな、に現実的に触れられた」という点だったそうです。
吉冨さんは過去を辿り、下元さんは未来に触れたGW。
現在地を知るためにはどちらも大切ですね。向かったベクトルは違えども、2人して話していたことは、
「オモシロガリ、は誰かの存在あってこそ」ということ。誰かのために仕掛けたことを、他の誰かと「面白いよね!?」って言えるから、成り立つものであると。
3年ぶりに行動制限がなくなったGW、東京近郊の観光地はすごい人出で飲食店の場などは完全に元通り、という印象を受けました。でも、店を出ると誰からともなくなんとなく皆でマスク、というモヤモヤした空気を爽やかな初夏の風の中、感じました。どうなったら収束と言えるのか?どこまでがwith コロナ、なのか?「ゴール、わからん!」が私のGWとなりました。
そして迎えた5月末現在。時と場合でマスクの不要の風を受け、人と会おうという気運と期待がますます高まっているのを感じます。一旦のゴールは見えてきた?のならいいな、と思います。そうなってくると、オモシロガリストの本領発揮。オモシロガリは、誰かのために、誰かと一緒に仕掛けたい。
土佐山に人を巡らせる。そのために働いている日常こそが、土佐山アカデミーにとってのゴールデン・ワークなのだと思います。土佐山は、先人たちが築いてきた過去に触れながら、少し先の未来を一緒に作れる場所。2人がいます。梅雨が明けたら、鏡川と、新しい世界に飛び込むにはきっといい季節です。
ごきげんでおなじみ 髙木健太
土佐山アカデミー東京代表
プランナー/コピーライター/コーチ
日本大学芸術学部卒業後、設計デザイン事務所、飲食業などを経て広告代理店のクリエイティブ・プランナーに。2019年企画屋として独立。身近な人、モノ、コトからごきげんにできるように企画・コミュニケーションの力を使いたいと考えています。「なごやかに、すこやかに」が信条。趣味と生きがいは余興。5歳児の父。
●ごきげんでおなじみ https://gokigen-inc.jp/
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