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【お肉】としての土佐ジロー

土佐ジローは、高知県が開発した地鶏。

天然記念物の土佐地鶏のオスと
在来種のロードアイランドレッドのメスを
掛け合わせた一代種

土佐ジローの卵は、有精卵だが
ジローの卵から孵化した鶏は
もう土佐ジローではない。



一風変わった名前は
父親の【とさじ】と
母親の【ろー】から名付けられている。

高知県の事業としては
1986年ごろ本格的に動き始めている。

もともとは、採卵用として開発され、
廃鶏(卵を産み終えた鶏)の肉活用も期待された。

靖一さん(夫)も1988年に
父親と同世代の農家5軒と一緒に
卵用として共同生産を畑山でスタートした。

でも、1個45円(当時)の高価な卵は
なかなか売れなかった。

1年目、90羽のジローたちが
毎日60個ほどの卵を産んでいた。

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10個入りのパック6個は
1日目で、余ってしまえば
翌日にはまた、増えてしまう。

見かねた知人の紹介で営業を覚えたり
小学校時代の恩師が退職後のボランティア組織で
協力してくれたり
少しずつ販路ができていった。

それでも、なかなか一人前の給料には程遠かった。

「日給5千円を稼ぐには、何羽飼わないかんがやろ」

当時は、まだ土佐ジロー、一筋ではなかった靖一さん。
昼間はシシトウなども栽培していた。


肉用としての飼育を始める


採卵用としての生産に
畑山での産業化の道を見いだせなかった靖一さんは
肉用としての生産を始めた。

採卵用に生産されていた土佐ジローのオスは
生まれた日に雌雄鑑別をされ、命を落とす運命にあった。

一般的にスーパーに並ぶ肉用鶏(ブロイラー、若鶏)は
生後45日~60日程度で3㎏以上に育てて出荷する。

一方、土佐ジローは150日で
オスが1.5㎏、メスは1.2㎏程度にしかならない。

重量で販売される鶏肉の場合、
小柄な鶏は敬遠されるもの…

そこは、養鶏の素人だった靖一さんだから
できたことかも知れない。

「高くても、えいもんを作ったら買ってくれる人がおるはず」

その自信はどこから来たのか分からないが
靖一さんは、肉用としての土佐ジロー生産に取り掛かった。

静かな鶏と違って
土佐ジローは運動能力が高く
とにかく良く飛び、よく走る。

土佐ジローの父「土佐地鶏」は
鶏の先祖「セキショクヤケイ」に近い鶏とされている。

野鳥であるセキショクヤケイを家禽にしたのが鶏で
土佐ジローは、このセキショクヤケイに近く
野性味あふれる鶏なのだ。

間違って鶏舎を抜け出そうものなら
鶏舎の屋根に飛び上がるのもお手の物。

滑空して、川を渡ってしまい
向こうの山から、
「コケコッコー」と鳴いていたことも…


今でこそ、そんな事態は起こらない。

でも、飼い始めた当初は、すべてが手探り。


シャモのように飼えば良いかと1年くらい飼ってみたら
あまりにも硬くなりすぎていた。

飼育期間がどれくらいが良いのか。

餌はなにが良いのか。

鶏舎の形はどうすれば良いのか。

試行錯誤が続いた。

建てたばかりの鶏舎も
壊しては建て、壊しては建て、を繰り返した。

約10年がかかったが
土佐ジローが美味しくなる鶏舎の形を生み出した。

階段状の止まり木のある部屋と
土の遊び場がセットになった小屋だった。

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その区切りがたくさんあるのが
はたやま夢楽の鶏舎だ。

1つの鶏舎の中で、無数の小屋に分かれている。

1つの小屋の中には
50羽程度のジローたちが暮らしている。



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運動能力の高いジローたちが
食べるとすぐに休んでくれるスペースになった。

喧嘩をしていても、
止まり木を駆け上がって視線が違うことで
喧嘩が長引くことがなくなっていった。

生後120-150日でさばくことも決まっていった。

歯ごたえはあるけれど
硬いわけではない。

はたやま夢楽の土佐ジローの肉質ができあがっていった。

はたやま夢楽では、
肉用に土佐ジローを育てて、終わり、ではない。


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育てて、さばいて、販売するところまでやっている。
平成16年からは、食堂宿「はたやま憩の家」で
土佐ジロー料理を提供するようにもなった。

育てて、さばく。

だから、鶏の変化に気づくことができる。

土の変化や、鶏舎の違いが
肉質にどんな影響を与えるかが
すぐに分かる。

鶏舎の形が出来上がったころ
靖一さんは、もっとジローを太らせようと
高カロリーな餌を与えてみた。

よく、太ってくれる。

と、期待していたのに
さばいてみると、砂肝の中は、
土だらけ、だった。

土佐ジローたちは、高カロリーな餌ではなく
砂を食べて、自分たちの体調管理を本能でしていたよう。

人間の都合ばかりを押し付けてもダメなのだった。
土佐ジローの都合と、人間の都合の折り合い点を探るようになった。


また、隣り村で飼っていた土佐ジローをさばく機会があった。

それまでにも、そこのジローをさばいたことはあったのに
その日は、脂がぬるぬるして、大変だった。

飼い主に聞いてみると
土の上で遊ばせることができず
小屋の中で飼育していた、とのこと。

土の上で飼うことで、
土佐ジローのさらさらとした脂質が保たれていることを知った。

はたやま夢楽がメンテナンスの大変な
土の上で、ジローを飼い続ける理由は
こうした経験から得たものだ。

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お山暮らしの長い靖一さんたち。

昔、家で飼っていた鶏は
夜になると、高いスギの樹上で寝たりしていた。

鳥目と言われるように、鶏は夜間移動には向いていない。

自然界では弱者でもある。

そんな鶏が外敵から身を守るためにも
においを発することは無いのではないか…

そのために大きな役割を果たしているのが
砂肝(筋胃)ではないか。

土の上で飼い、
砂肝がきちんと役割を果たすことで
鶏のくさみはなく、
上質な脂になる。

鶏を鶏らしく飼う

はたやま夢楽のモットーは
昔も今も変わらない。

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