クッキー☆ と 評


ある時期から
イキリ無産である自分(筆者)は、twitterという所で
クッキー☆の投稿物や、「界隈」に対する
テキトー極まりない妄言をぶん回していた。

そうすると徐々に人が見ている気配が感じられるようになり、
アクティビティだか言う名前の、アクセス統計を見ると
一月でそこそこの数字が表示されていた。
(なんと114514数を超えていたのである!(どうでもいいわ)。)

ツイートする回数自体が異様に多いので、
それに付随して閲覧数的な値も増えたのだろうし、
この数字が実際の所どこまで多いのか少ないのか、
他人様の数値を知らないので比較はできないが

まあひとつ言えるだろう事は
界隈の一定数の人々がそれなりに関心を持って、
能動的に閲覧していたのだろう
という事である。

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どうしてそれなりの人数が
動画を投稿した事すらない
TDN無産のtwitter如きをを見るのだろうか?

文豪なんかなぁ…(頭syamu)

というわけでは勿論なく、

頭syamuなりに推察してみると、
クッキー☆に関する、褒めるだけじゃない感想、時には悪口、
まあ強いて言えば、評、みたいなものに需要があったんじゃないかと、
そう思えたわけです。


そういう悪趣味な言説の供給量があまりにも少ないため、
逆に言えば、褒める、行為の供給が多過ぎるため、

イキリ無産の言葉にすら需要を感じてしまう奇特な人々の目に留まり、
結果として受け皿になってしまったのではないかと。


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クッキー☆で評、評論というと、
私の頭にまず思い浮かぶものがある。

そう、言わずと知れた自己矛盾兄貴の「面会室」である。


「アレ」もクッキー☆の投稿物やゴシップを取り上げて
あれこれ論評する集まりであった。

そうした奇怪な場所が突然なくなったので、
宙に浮いた、彷徨っていた需要が
自分のtwitterにいくらか降りてきたのでは?

とも思えなくはないが、

そもそも何故、面会室はなくなってしまったのか
といえば、つまるところ

“評論ごっこをしていたから”


という一言で説明できそうな気がするのは、私だけの感想だろうか。

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自分は投稿せず、他人の投稿物にだけ口出しする事は
偉そうであり、反感を買う行為、ではあるのだろうと。


現実の世界で見れば、映画や書籍、スポーツ、他の何でもそうだが、
評する行為にはしっかりとした需要があり、
それを生業にしてる人間も大勢居る。


かといってそれをそのままネット空間の片隅に持ってきた時に、
上手く折り合いの付かない事もまたあるのだろう。

クッキー☆や淫夢、いわゆる例のアレについても同じ事が言えるかもしれない。


そもそも趣味で、しょうもない題材を用いてバカやってる場所なんだから、というような前提がある。

だからこそ、それらを評論するという行為もまた、馬鹿馬鹿しくて面白い、
かもしれないし、

時には、現実の世界と同じように、
評論家め、
と創作者から煙たがられるのかもしれない。

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例のアレも今となっては歴史が長いし、層も広がり、
世代的に見てもなかなかに幅があるだろう。


創作に対する姿勢もバラバラで、半笑いでやってる人も居れば、
真剣に、本気になって取り組んでる人も居るだろう。


なら当然として
批評、もとい批判という物が自身の創作物に向けられた時の反応にも
差がでて当たり前である。

批判的な言葉に
喜んだり、怒ったり、哀しんだり、笑ったり、
様々な反応が生まれるかもしれない。


だからといって、投稿者を、怒らせたり、悲しませたから、
さらには、批判のせいで投稿する意欲を喪失させたからといって、
その批判をした者に罪があるのか、
というとまた別の話に思える。


視聴者の中には各々の感想がある。
面白いと思う人も居れば、面白くないと思う人も居るはずである。

なかにはそれ以前の、見る気すらしないね、という人もまた
大勢居て当たり前なのである。


それが自然な事であり、
肯定意見ばかりが目に入る、という世界があるとすれば、
それもまたどこかが歪な有様でもあると、筆者は考える。


他者からの、良くなかった、という意見から、
改善の余地が生まれる場合がある。

アンケートというものはそういう役割も担っている。

趣味でやっているのだから、改善する必要がない、
という意見もまた尊重されるべきだが、

かといって批判を消していいかというと議論の余地があるだろうと。


しかしまた、
批判的な言説が常になくてはならないと言っているわけではないし、
そうした声を手放しに尊重し、礼賛してるわけでもない
と付け加えておく。

批判的な批評もまた、
それを寄せた創作や、創作者の姿勢、と同じように
批評的な目を向けられて然るべきだろう。

寄せられた批判を全て大人しく聞き入れ、受け入れるというのでなく、
そうした物に晒されながら、
自分が必要だと思えるもの、聴くに値すると思うものを
自身に上手く取り入れるのが、
いわゆる「上手な」
批判との付き合い方ではないだろうか。


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ある程度好き勝手にやれる場所だから、
そのようなヘンテコな創作で遊べてるんだという事、

そもそもがしょうもないごっこ遊びの場所、
ではあるんだという事を、

今一度思い出して、少し肩の力を抜いてみるのも大事な事かもしれない。



情熱を注ぐからこそ良い物も生まれるだろう。それは間違いないと思う。

しかし、所詮は例のアレですから。という「抜け」の部分も大切だと、
YUHは思うけどなぁ。

という個人の、
まして無産の、感想でした。


クッキー☆よりも淫夢系の投稿者の方が、
全体的な立ち振る舞いに余裕が見えるように感じるのは、

「可愛らしい」二次元絵より
「馬鹿馬鹿しい」現実の人間の題材を扱ってる事によって、

高尚さみたいな勘違いが、起き辛い、引っ込みやすいのかもしれないなぁ。


と適当な事を言いっ放して 終わります(唐突に)


ご清聴 誠にありがとうございました。

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