有産 と 無産 と クッキー☆ Ⅱ


※この文章は
有産 と 無産 と クッキー☆ Ⅰ
(https://note.com/torupico/n/n512274458065)
 からの続きになります。


そんなこんなで時が進み、件の「面会室」が半年ほど続いた頃、
アンチ自己矛盾合作(https://www.nicovideo.jp/watch/sm38282576)
という動画がニコニコ動画に投稿された。


動画の内容は、合作という名の通り
幾人かの投稿者が出し合った、動画の集合体で、
めいめいが持つ自己矛盾兄貴への反感をメッセージとして込めた、
なかなかに攻撃的な作品になっていた。

そして
存在自体が異色のその作品群の中で
さらに妙な異彩を放っていたのが

『空想からレイプへ!反自己矛盾論 アンチ合作版』
という動画であった。

第810インターナショナル兄貴(以下 810インター兄貴と呼称させて頂く) が制作した物で、
自説を、音声読み上げツールを用いて演説のように主張する、
といった内容だった。


大抵、クッキー☆の動画では、創作を仲介させて意見を提示する所を
直接的に言葉によって訴えかける手法には新鮮さを感じた。


動画の主張内容は
自己矛盾兄貴に直接向けたメッセージというよりは、
氏がご執心であった投稿者を中心にしたムーブメントである
いわゆる投稿者☆への批判や
クッキー☆厨(クッキー☆というコンテンツに関与する者の別称であり蔑称)全体に向けた、啓蒙活動のような様相を呈していた。


後にその動画が、同投稿者によって加筆修正が加えられ
単品版としてニコニコ動画上に投稿された。


主に、上述したアンチ合作の部分を用いた物が
空想からレイプへ! 反自己矛盾論 (単品版・前編)(https://www.nicovideo.jp/watch/sm38349317)』となり、


自己矛盾兄貴の主義主張にフォーカスして、反論し
面会室終了までの顛末を綴ったのが
空想からレイプへ! 反自己矛盾論 (単品版・後編)(https://www.nicovideo.jp/watch/sm38349492)』となった。


筆者の感想としては、
前編後編ともに、大いに共感できる部分もあり
一視聴者として大変楽しませてもらったが、

なかでも
後編の、自己矛盾兄貴の主張に対する
直接的な反論部分が興味深かったのでここで取り上げたい。

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~810インター兄貴の主張の紹介と考察~


前項『有産 と 無産 と クッキー☆ Ⅰ』で
筆者が呈した疑問と、共通した意見が、
810インター兄貴の動画の後編で、
より明確に、理論として補強され語られていた。

自己矛盾兄貴は、
動画や静画の創作の有無で、クッキー☆厨を有産と無産とに分類した。

自己矛盾兄貴が、
創作者以外(無産)は創作者(有産)を批判するな、と言う一方で、
クッキー☆の創作はハードルが低いから容易く創作者(有産)になれるのに
と公言するという事は

自己矛盾兄貴は、芸術性やセンスではなく時間や労力を重視しているのだ。

というのが810インター兄貴の主張である。

そして、
自己矛盾兄貴は労働価値説を信じていたのか、
という、得意分野であろう要素を加えて主張を着地させていた。


労働価値説など、一般的には耳慣れない学説も登場し、
教養のない筆者が主張を完全に理解できているかは怪しいが、

言わんとする事は伝わり、
その範囲においては、まさにその通りだなと同意する。

ここからの考察は
有産 と 無産 と クッキー☆ Ⅰ』での内容と重複する部分もあるだろうが、
ここでも改めて考察してみる。

無産は有産を批判してはいけない。

そして有産は誰でも容易くなれる。


有産という物が拙い創作で容易くなれる存在なら、
有産と無産とを分ける差は、
ただの、「僅かばかりの」労力の差、だったのかという事になる。

その労力を惜しんでいる無産は有産に文句を言うべきではないという話だったのか。
自己矛盾兄貴がイキリ無産を蔑むのは怠惰であったからなのか。

有産に無産が文句を言ってはいけないのは、
有産にしか理解できない境地があるとか、認識の可否の話でなく、
ただ労力を割いたか割いてないかの、手間の差だったのである。


創作を巡る壮大な話があるのかと思わせて、
その実、極めて小さな話に着地しているのである。


(しかし、これが自己矛盾兄貴の本来の持論とは思えなく、
無産は批判するなという願望に、
傲慢さが薄まるかと、創作のハードルが低いというオマケををくっ付けたら、
うまく混ざらずこういう自己崩壊染みた結果を生んでしまってのではないか、
というのが筆者の率直な感想だ。と言う事は、前項で述べた通りである)


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このように
自己矛盾兄貴の唱えた、有産無産の主張を根本から揺るがした
810インター兄貴の指摘であったが、

他の主張にも見逃せない物がある。


そちらを要約すれば
 
クッキー☆を、クッキー☆に参加するすべての人間で創作する総合芸術だ。とした時、

クッキー☆に参加する者はすべて創作者であり、芸術家であるから
コメントする人間等も有産であり、無産は存在しない。


といった物である。


コメントをした者も無産ではない。

この主張にも筆者は同感だった。

匿名でのコメントが動画の画面を埋め尽くすニコニコ動画の仕様は
他の媒体よりも、とりわけ受け手である視聴者の存在が大きい。


ニコニコ動画を中心としたコンテンツという物は
コメントによって創作物の立ち位置までが左右されるような
送り手と受け手による、双方向に干渉し合う文化であるといえるだろう。

クッキー☆、淫夢と言った、例のアレと称されるコンテンツもまた、
画面に流れるコメントが、その存在を把握し、許容し、肯定し、昇華させ、
今の存在に押し上げたと言っても過言ではないはずだ。

クッキー☆の誕生も、そこからの発展も、
投稿者だけの努力によって成し遂げられた物では決してなく、
視聴者の存在が大きく関与しているのである。


こうしたクッキー☆における一側面が、
810インター兄貴の主張の説得力を底上げし、
自己矛盾兄貴の主張を弱化させているように思える。



こと面会室においても、

取り上げた動画の中に書きこまれていた、コメントの文面を読み上げ
視聴者と共に楽しむ一方で、
当の配信内では非投稿者、「無産」のコメントを排除し、
画面から締め出していたというのは、いささか歪な行為に思える。


その「面白い」コメントを打った者は、
投稿者であるか非投稿者であるかは不明であり、
非投稿者である可能性も大いに存在する。


「面白い」コメントを打つのに、
動画制作や静画制作の技術は必要なく、
「無産」でも十分可能な行為だという事である。


そして、
そのコメントが動画の面白味に貢献しているのは疑いがない状態でも、
投稿をしていないなら無産という括りで片付けられてしまうのか。


動画をより面白くした存在であり、
そうした行為が日常的に続けられていたとしても、
非投稿者であれば問答無用で無産なのだろうか。


これマジ?
功績に比べて扱いが冷遇過ぎるだろ。
という気持ちが芽生えてこないでもない。

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ちなみに、クッキー☆の生き字引的存在である、
かの有名などん行兄貴が、執筆したブロマガ
私が著作権を軽視する理由 ~アマチュアがプロ意識を持つな編~ 
(https://ch.nicovideo.jp/donkou/blomaga/ar1941213?nicorepotwitter_upload_blomaga)』
のなかにも類似した主張が見られたので紹介しておく
(ブロマガサービスは2021年中に終了するみたいっすね。
ニコニコ自体もそのうちなくなりそうw)。
 


以下引用

>創作者の定義
ここまで創作者について話してきましたが、ここで想定している創作者というのは大体絵師とか動画やゲームの製作者、作曲と言ったものだと思われているかもしれませんがそうではありません。
ブログやnoto(原文ママ)と言った文章、もっと言えばツイッターや掲示板、あるいは感想欄といった、公開された場での書き込みもまた創作と想定しています。
私が創作物と見ているのは継続的に誰かに影響を与えるよう作られたものとしています。短い文であってもそうした意図があるなら立派な創作活動です。
要は私が今回指摘している対象は匿名非匿名関わらずTwitterやスレであれこれ善し悪しを語っている人も含めています。案外そっちの方が多いのかもしれません。
 



これは先に挙げた810インター兄貴の主張と類似した意見であると言えるだろう。

そして、動画や静画にコメントした者だけでなく、
匿名掲示板やnote(こ↑こ↓)、ブログ(ブロマガ等も含むだろう)、
など、
他媒体の対象を具体的に明記しつつ、
そこで何か残した者も全員創作者であると定義している。

創作者だと言ってるんだから無論、
自己矛盾兄貴の言う所の「有産」という事でいいんだろう。

ここまで有産認定の椀飯振舞をしてくれるなら、
もしかすると、コメントせずに視聴しただけでも、
再生回数を増やすという行為に参加しており、
投稿者や視聴者に影響を与えているから創作者であり、有産である。
とか言ってくれそうな勢いすら感じる(確認はしておりません)。

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動画や静画を制作し、投稿した者が
クッキー☆における創作者であり、有産である


とする自己矛盾兄貴と

そうではなく、
クッキー☆に関わり何らかの反応を残した者も創作者であり、有産である
と言った
810インター兄貴と、どん行兄貴。

創作の定義に違いが生じ、
創作者、有産の定義もそれに連動して異なっている。


自分ならどちらを支持するかというと
まあお察しの通り後者なのだが、


全面的に賛同したいところはやまやまでも、そうは出来ない所に、
人間の面倒臭さ、多様さを思う。


その辺の、ちょっとした違いや思う所を
次回に書いてみたいと思います。


つづく(やっぱ終わっとくか…)


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