有産 と 無産 と クッキー☆ Ⅲ


※この文章は
『有産 と 無産 と クッキー☆ Ⅰ』
(https://note.com/torupico/n/n512274458065)

『有産 と 無産 と クッキー☆Ⅱ』
(https://note.com/torupico/n/ncef2481f3be8)

からの続きになります。

Ⅰでは自己矛盾兄貴の使っていた有産無産の定義に対する筆者の考察、
Ⅱでは主に、自己矛盾兄貴の提唱した有産無産の定義に対する、
他の識者の意見を纏め紹介した。

そして本稿では
筆者自身の、有産無産という言葉への認識、意見を残し
一連の流れのまとめとしたいと思う。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

有産、無産、
これらの言葉に共通するのは産むという文字で、
産む事の有無を表しているんだろう(激ウマギャグ)と推測される
というのは、 Ⅰ の項で述べた通りである。

そして、何を産む事を表しているのかと言えば
その対象は結局
その人間が身を置く場所や環境によって変わるのではないだろうか、
とも思うのだが

この文章は
一応クッキー☆という場所に立った人間によって綴られているので
ここでは、そういう場所から見た有産無産の話とさせてもらいたい。

結論から言えば

自分が思う、
自分としては、しっくりくる、
自分的に妥協でき……もういいや

面白味の有無である。

物を作ろうが作らなかろうが、
ここで言えば、動画や静画を制作し、投稿していなかろうが、
コメントや弾幕、タグ編集など
作品制作と関係のないところでの行動だろうが

面白味を産んだら有産で、面白味を産まなければ無産、
でいいんじゃないかと思ってる。

区別しているのは
面白さ、
もしくは結果的に面白さに繋がる行為だったかどうかくらいのもので
他はどうでもいいんじゃないかって。

べつに
投稿経験の有無、制作物の有無で人を選り分ける行為
自体をおかしいと言っているわけではない。

そりゃ明らかな違いがそこにあるんだから、
そこで分けたければ分けたらいいんじゃないかと。

ただ、有産無産という概念、言葉をそこに持ちこんで
大別してしまう事には、ちょっと筋が悪いのではないか
という気持ちが芽生える。

大して面白くない「作品」を投稿した者が殊更偉そうにしたり、

作品を投稿した事がない者が
仮に面白いコメントで創作物を盛り上げたとしても、
投稿していないというだけで問答無用で軽んじられたりするのは
ちょっとおかしいなと思わないでもない。

また、言うまでもなく、
大して面白くもないコメントをいくつか、もしくは大量にしたからと言って
作品に貢献してる、などと偉そうにしたり、
視聴者側の重要性を主張するような輩もまた問題のある存在に映る。

では、ここで言う面白さというのはなんなのだろう。


ここで生じる問題は、
その面白さ、というのは
自分、この場合は筆者の感じる面白さ
に過ぎないという事である。

「面白さってのはどうやって決めるのですか?」
「面白さの基準は人によって違うのでは?」


まさにその通り、面白さの感じ方は人によって違う。
当たり前の常識である。

筆者が、クッソ面白くないなあ、と思う物でも
それを喜んでる者からすればクッソ面白いわけで
そういう事実がクッソ面白く(滑稽)もあり、クッソ面白くもない(地獄)というわけであるが。

逆に言えば、
筆者の感じる面白い物も、他者からすれば面白くないという事も当然のように発生してしまうという事だ。

「じゃあどうすりゃいいのさ?」

うん?
どうもできるわけがない。
所詮は感想であるから。
そして感性であり、人間は未完成な生き物なんですよ。
お分かりかな?

ただ、
ひとつ言えるとすれば
自分個人が持つ感想とは別に、他の誰かが持つ感想があるよね、
という事。

自分の持った評価とは別に
他者が持つ評価がある。

自分自身に対する評価であってもそうで、
自己評価とは別に、他者が自分に持つ評価も存在する。

他己評価とも言えるかもしれない。
場合によっては異化作用ですな(意味不明)。

個人の感じた面白さと、
その個人から見れば
他人の持った面白さを持ちよって、
擦り合わせ、平均化していく、場合によっては先鋭化させていく。

言うなれば「答え合わせ」が行われるわけである。

無論、
散々言っているように、
その答えというのも
そこに属している集団の、自他による答えに過ぎないという話である。

持ち寄った面白さの度合いが高ければ、その場、空間の面白さも高くなり、
低ければ低くなるんだろう(面白さを高低で表現してもいいなら)。

だから各々が面白いと思う物が 
「本当に」「面白い」物であればハッピーだし(だよね?)

そういう水準が上がっていけば、
結果的に「界隈」を包む空気も相対的にうすら寒いものから遠ざかる傾向を持つ(よね??)。

「面白い人」が集まって、「面白い物」を面白がっている空間が形成されれば
自然とその場、その世界は面白いものに近づいていくはずである。

そして「面白くない物(者)」は鳴りを潜め、
面白いものを分かっているフリでもしてくれる事だろう。

……って話ですか?

(私にはわかりかねます)

自分自身の事が面白いのかよく考えましょう。
面白くないと思った人は大人しくしておくか、
面白いと思えるまで面白くなりましょう。

自分では面白いと思ってるのに、どうも周りから面白いと言われない、
思われてない気がしたら、
もしくは全く相手にされていなかったら、
ちょっと自分を疑ってみましょう。

そして行動に変化を出したり、場合によっては大人しくしておきましょう。
ていうか大人しくしておきましょう。

この界隈で駄目だったけど別の界隈ではチャンスがあるかもしれない
なんて事は、あまりありません。

駄目なもんは駄目です。そこの人が迷惑します。
ネットイナゴはやめましょう。大人しくしておきましょう。

名前とガワさえ変えれば…、アイコンが悪かったかも……
大人しくしろ。

他人と素人声優、ホモビ男優に迷惑をかけすぎないように、
節度を守って面白さを追求していきましょう。

さようなら(すべてのエヴァンゲリオン)


             END


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?