自由恋愛の代償

石原慎太郎が著書か何かに「自分は性的にはまだ現役で~」といったことを書いていたのを思い出した。「太陽の季節」などの著書が示すように、彼が日本における自由恋愛の火付け役になったともいえる。しかし老人になってもなお性欲が無くならないというのはある意味拷問ではないだろうか?きっと石原ほどの地位や名誉があると性欲といった煩悩の大きさも並大抵のものではないのだろうが、仕事以外で一体どこの誰が老人の相手をしてくれるというのか。石原は自分を美男子だったと振り返っていたくらいだし、カリスマ性もあるから若い頃はそれなりにモテたのだと思われる。ただ歳を取り老けていくと次第に異性からの需要は無くなっていくというのが自然の摂理だ。おそらく石原が中年の時代は今ほど男女差別も是正されていなかっただろうし、金の力でいい女と恋愛関係を結ぶことも容易だったはず。しかし現代はどうだろう?人権尊重や平等が重んじられて、金の力でどうこうするのは難しくなりつつある。パパ活といった疑似恋愛はあるが、最終的に男が金銭ではない関係を渇望してしまい縁は切れる。叶わぬ夢が欲求不満を生み、また同じことを繰り返す悪循環だ。自由恋愛という欲望が更なる欲望を生んで、人は中年や老人になってもなお欲望を捨てられなくなってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?