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"終わり"を意識してしまい長期的な関係を築けない私

今話題になっている「花束みたいな恋をした」、やっと見に行くことができました(付き合ってくれた友人よ、ありがとう!)。最初から最後までリアルであらゆるところに共感し、溢れてきた行き場のない感情をどこかに吐き出したくなったのでとりあえずここにメモとして書かせてください。以下めちゃくちゃ自分語り&ネタバレのオンパレードです。多分34番煎じ(凪のお暇ネタ)ですがお許しを!"仕事"の話を中心に書いてます。(あらすじを知っている前提で書くので、本編見てない方は注意)

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まず最初の趣味が合う者同士がどんどん惹かれあうシーンについて。私も音楽好きなんですけど、一言音楽好きといってもいろんなジャンルがあって好みはそれぞれですよね。だからそこが合う(近い)人を見つけただけでかなり嬉しくなります(しかも私の世代に刺さる曲やアーティスト名が何個も出てくる)。人間最初は他人の長所が見えやすいと思うんですけど(一緒にいる時間が長くなるほどだんだん嫌なところが目につくような…)、本当に共通点だけ強調されて、盲目的に運命のように感じるなぁと思いました。

あと絹ちゃんの「彼は電車に乗っていたことを"電車に揺られていた"と表現した」みたいな台詞が何気に好きです。小説をよく読む(書く)人や、音楽好きで歌詞を深く考察する人はセンスある文章表現に惹かれやすいんじゃないかなと。私も小学生の頃に読んだ小説の「雨が天と地を縫い合わせている」みたいな表現が好きでいまだに心に残ってたりするので。そもそも麦と絹って名前が綺麗で良いですよね…(この名前についての考察をしてる人も見かけたので、気になった方は調べてみてください)

麦くんが「"私、山音さんの絵好きです"って言われた」って何回も繰り返して思い出すシーン、ここは男女の思考の違いが出てるって感想を多く見かけたんですけど私はどちらにも共感しました。相手のいろんなことを想像するのもわかるし、自分の創作物を好きって言われるのって創作者にとっては"財産"で、自分自身を肯定してくれてるようで、それで心がいっぱいになるので。(絵だけでなく、私の作った動画のセンスが好きと言ってくれた人や演奏の柔らかさが好きと言ってくれた人、それぞれ大切に心に残っています)

2人が学生からフリーター、そして正社員になる過程は本当に心が痛かったです。私も麦くんみたいに自分の好きなことでやっていけたら、って思ってた時期もほんの少しあったのですが、現実はそう甘くないですよね。結局、妥協しなきゃ生きていけないよなと。さらに麦くんの場合は実家が遠くて親にも見切られてたし、実家が太い絹ちゃんとは精神的余裕の差が大きかっただろうなと(絹ちゃんは絹ちゃんで親の圧力が辛かっただろうなとも思います)

私は社会人になったばかりの時に学生の子と2人で2年弱ルームシェアしてたのですが、仕事が大変で休みの日にもスクーリングがあって時間も精神も余裕がなくて、仕事→帰宅後即寝みたいな生活でした。頭が働かず趣味からはどんどん遠ざかって、私より時間があるシェアメイト氏がリビングで夜に動画流して笑ってるのを聞いてイラッとしてしまうことも多かったです。静岡前乗りのくだりの喧嘩は本当にリアル。お互いがお互いに対して我慢してたんだなと。

絹ちゃんが転職の話をするシーンもどちらにも共感しました。麦くんの台詞「仕事は遊びじゃない」「仕事は向いてる向いてないで辞めるものではない」、その通りだと思います。好きなことを仕事に出来る人は僅かで、多くの人はやりたいことより求められることをやるしかない(もちろんそれがイコールなのがベストなんでしょうが)と私は思っているので。
でも辛かったのが麦くんの「せっかく資格取ったのに」という言葉。私はよくケチなので自分に対して"もったいない"という言葉を使うのですが、これは他人にはあまり言うべきではない言葉だと思ってます。他人の選択を、意思を否定してるみたいだから。私が新卒で入った会社で先輩方に「〇〇大学なのにこんなところに来たんだね」「大学で学んでたことと全然違う仕事選んだんだね」って言われて複雑な気持ちになったことを思い出します。特に絹ちゃんの場合は自分の決めたことを一番受け入れてもらいたいであろうパートナーにばっさり否定されたんですから、そりゃ辛かったでしょうね。
そして絹ちゃんの「やりたいことしかやりたくない」という気持ちも痛いほどわかります。私は新卒の会社での接客業務がしんどくて結局接客のない仕事に転職したんですけど、そこで精神的にだいぶ楽になって「仕事って(ある程度の妥協は必要だけど)そこまで無理する必要もないんだ」と気付きました。だから私は仕事も無理するくらいなら辞めるべきだな、人間関係も自分が我慢するくらいなら関係を続ける必要はないかなと考えてしまいます。ただ私は貯金をして「仕事を辞めてもある程度は生きられる」と考えたり、人間関係も数少ない友人がいるから「恋人がいなくなっても孤独にはならない」と常に逃げ道を作ってきたからこう考えられるのかも。あと私も絹ちゃんの「最悪の状況よりマシ」という考え方をよく使います(今より悪い状況を想像して安心する)。ただ、ギリギリを生きてて視野が狭くなってるとそこまで考えられない、1人で環境を変える気力も残ってなさそう…あと家庭を持ったり守るものが増えると責任が生まれて動きにくくなりそうですよね。

2人は根本的に恋愛・結婚に対する価値観が違ったのかなと。何を諦めて何を優先するかが。麦くんは「好きな気持ちや関係の形が変わっていくのも受け入れて絹ちゃんとずっと一緒にいる未来」を望んでいただろうし、絹ちゃんは「恋愛は刹那的、鮮度あるきらきらをその時その時に楽しむ」みたいな考え方だったのかなと。そして私自身もどちらかというと絹ちゃんよりだと自覚してます。何か始まった時もよく「終わり」を意識してしまいます(余談ですが有名人だとVTuberのでろーんも似たような考え方だと感じてます)。特に友達より恋愛に関しては自分がずっと好かれる自信も相手との違いを目をそらずに見つめて受け入れる覚悟もないので。だから嬉しかったこと、楽しい思い出を心に残そうとなるべく記録に残したりします。終わりがあっても意味があると思いたい、というか自分の中で意味のあるものにしたいから。それに「辛いことにもいつか終わりがある」と考えれば自分の中で救いになったりもするので。つくみず先生も少女終末旅行のあとがきで「終わりがあるというのはとても優しいことだと思います」って仰ってますし!

とだらだらと書きましたが今こうやって映画を楽しむ余裕がある私は幸せだなと感じました!あと宝石の国を読んだことがない人はぜひ読んでね!原作もアニメも良いです。

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