見出し画像

親の人生から学ぶこと

私は、自分の父親を知らない。
見た記憶もなければ、名前だって知らない。

母親に引き取られ、母親方の叔父、叔母に育てられた。

僕が小学生高学年になった時のことだ。
新しい父親を紹介された。

今となってはより現実身を帯びてくるが
その小学生としての年齢からすれば物分かりが良いほうだったのだと思う。

何も抵抗することなく新しい父親を迎え入れた。

ただこの年齢になってみると
父親側の目線で物事を捉えられるように少しはなった。

父親になったわけではないが
大人としての子供をみることが少しできる。

では今の父親は、小学生だった自分をどう感じて受け入れてくれたのか。
または、妻にする女性に1人子供がいるとわかった時に、素直に受け入れることができたのか。

もっと言えば、妻の親にしてみれば
2人目になる旦那に対する不安や自分の子供はそれで正しいのか。という意見を持つと思う。

ただそこを今の自分が考えても仕方ないことだとは思うが、
ただ素直に思うことがある。

よく小学生になる自分を受け入れて
育てるかくごを持ってくれたな。と。

いえば、自分の子供ではない。
愛した女性にたまたま付いてきた
おまけであり
負担となるものだと思っていた。

自分を受け入れてくれた日から
約15年。

初めて父親とちゃんと話す機会が訪れた。

僕は言った。正直に言った。

「なぜ僕を受け入れてくれたの?
 いわば自分の子供でもない。
 ただ、妻にしたいと思った女性についてきた
 おまけみたいな負担に、高校や大学、就職
 までの面倒を見ようと思ったの?」と。

帰ってきた答えに、呆気にとられ
思わず涙が出た。

「おまけとして未来や希望がついてきたと思った」

と言った。

これまで順調に育ってくれてたのを俺は見ていた。
だから25歳になった今、知っておいてほしいことがあるんだ。 と父親は続けて言った。

25歳の時の俺は、何も考えずに仕事をして遊んでいた。 ただ今思えば、5.10年後を見て、

「自分がどうなっていたいか」

を考えることができていれば、また違ったよりよい今になっていたと思う。と

冗談ながら笑みを浮かべ、
「もしかしたら妻とは結婚していないかもしれないし
お前とも会うことはなかったかもな」と言った。

だけど、お前のような「未来や希望」に出会えたことは、本当に幸運だったと思う。と

空白の15年。
聞くことが出来なかったことに後悔するとともに

まだまだ遅くはないな。
この涙と感謝を無駄にできる人生じゃないな。

と感じた。

今日、また新たに人生が変わった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?