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【創作・物語】きこえぬ者の神話

ー想像したことがあるかい。『障害者』という概念のなかった時代。周りが自分と同じような中、同じなのに違う、異質なものに初めて遭遇したら、あなたはどうしますか?ー



 気が遠くなるほど遥か昔、ここではないどこかで、きこえない赤ん坊が生まれました。

 しかし、そこでは今までそのような赤ん坊は生まれたことがなかったのです。

 狩りをしながら移動する民であった彼らは、声をかけても反応しない赤ん坊に不思議がります。
父親にあたる者は狩りの際の大けがが元で亡くなっていました。

 赤ん坊は大きくなっていくにつれ、「あー、うー」と言葉を発せないまま母親のあとを追いかけたり、じっと見つめて見るものの動きを真似するようになります。

 周りの人たちは次第に無反応で言葉にならない声を発するその子を恐れ、忌まわしいものでも見るような目つきになっていきました。
そして、その子を自分たちと似て非なるもの、"ヒ"と呼びました。

 母親は初め愛しそうに育てていましたが、次第に反応のない我が子に戸惑い、不安を募らせてゆく中、周りの人たちの恐怖に感化し心が不安定になってしまいました。

 そしてとうとう、長(おさ)にあたる人の判断により周りの人たちによって、ヒは遠く遠く離れた人気のないところへ連れていかれ、捨てられたのです。


 捨てられてしまったヒは、叫び声を上げながら母親を探し駆け回ったのですが、誰もいませんでした。とうとう疲れ果て、うずくまるように眠りに落ちていきました。

 朝になり、お腹がグーグーと鳴って目が覚めたヒは母親や大人たちのしていた行動を思い出して、食べ物や飲み物を探そうとするのですが、うまくいきません。

 やがて、足元に生えていた草や花を食べながら移動していくのだが、お腹を壊したり吐いたりする時もあった。たまの雨には、地面の上に溜まっていく泥水を飲んでしのいでいくのですが、月の見える夜には月に母親の顔を重ねては泣くのだった。

 そして、とうとう動けなくなり、朝と夜が通り過ぎた。

 ある日、ヒの顔に影が落ちたのは、覆うように人がのぞき込んでいた時。

 ヒが目覚めると暗闇の中から明るいところと暗いところの狭間が見えたのだった。ゆっくりと身体を起こしたヒは辺りを見回したが誰もいなかった。
気がつくと、身体の下には毛皮と藁が敷き詰められており、かたわらには水の入った木の皿と何かの実のようなものが何個か置かれていた。

 飢えていたヒは襲いかかるように水を飲み干し、実を口一杯にほおばるのであった。一息ついてぼーっとしていると、ふいに自分の頭に何かがのせられ、ヒはびくっと身をすくませた。

 おそるおそる目を向けると、そこには見たことのないような格好の男だった。前までいたところの人たちとは違う雰囲気にヒは怯えてしまう。

 そんなヒを尻目に男は何かを下ろした。生臭い匂いにヒはそれが肉だと気付き、目を見開いて涎を垂らさんばかりに見つめるのだった。その様子を見た男は大笑いし、肉を切り分けて与えた。

 そして、男はヒと意思疎通を試みようとするが、ヒに出来ることは真似してきた動きを繰り返すことだった。通じないとわかった男は、そういう事もあると何故か悟ったかのようにうなづいた。

 男は次の日からヒを連れて、狩りや採集をして、生きていくことを身をもって示した。ヒはそれらを何度も真似し、身体で覚えていった。

 次第になんとか一人で生きていけるようになった頃、ヒはたくましい面構えの青年になっていた。
ある日、ヒは草むらに人が倒れているのを見付け、男のいる寝床に連れて帰った。連れて帰る際にヒは、その人が自分の母親と同じく柔らかい事に気付く。

 何故、女の人があそこに倒れていたかはわからない。ヒは男に身振りで、人が倒れていた事を伝えた。高齢になっていた男は勝手知ったる態度で、気を失っているであろう女の人の看病をするのであった。

 やがて、女の人は目覚めるのだがヒを見て怯えてしまう。かつて自分に向けられた目付きに、ヒはその場をそっと離れ、近付かないようにするのだった。水や食べ物を時々差し入れしたり、離れた所からチラチラとのぞくのであった。

 ヒに害がない事がわかった女の人は徐々に慣れていき、一緒になるのに時間はかからなかった。そして、妊娠し出産となった時、高齢の男は子供時代に盗み見た出産の光景を思い出しながら見よう見まねで赤ん坊を取り上げる事が出来た。

 出産した女の人は長いこと伏せっていたが、看病のかいあって元気になっていった。次第に子沢山になったヒは子供らに狩りや採集の仕方を身を持って教え、子供らはきょうだいたちに教えていった。

子供らを産んだ女の人もヒに出来ない事を子供らに教えていった。子供らはどのようにすればヒに伝わるか考えて行動し、きょうだいたちに伝えていくのだった。

 ある日、暇を持て余した子供らは踊りを思い付き、お互いに動きを真似っこして遊ぶのだった。たまたま、それを見たヒは真似をして子供らと踊って喜ぶのだった。

 喜ぶヒの顔を見た子供らは、大喜びでヒの前で沢山踊るのだった。

 そうしてヒの家族、ヒの一族では音楽を必要としない踊りが代々伝えられていったのである。

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