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Philippé Wynne & Spinners

Spinnersのリード・シンガーであるBobbie Smithの追悼記事(2012年/日本版web)に以下のような記述がある。
フィリップ(フェリペ)は“Rubber Band Man”の成功から“Spinners”を“Philippé Wynne & Spinners”に変えたいと言った」
これはメンバーのHenryとプロデューサーのトム・ベルがインタビューで語っていた内容を合わせたものだ。…が、残念ながらこの記事でのPhilippéへの言及は「この要望を却下されSpinnersを去る」で締められ、以下はBobbieへの言及も殆ど無く後継への賛辞に特化している。
ならば、私はBobbie & Philippé推しの立場からこの記事で触れられていない部分を補足していこう。

幼少期から愛されることに縁遠かったPhilippéSpinners在籍時にメンバーやスタッフから無償の愛情を惜しみなく与えられ、歓びと同時に戸惑いや居心地の悪さも覚えつつ去り際を模索していたのではなかろうか。

Philippéが何処かへ向かって急ぐペースより少しゆっくりとグループは動いていたようだ」と振り返る前任者・キャメロンの言葉が従兄弟らしくとても温かい。皆は生き急ぐPhilippéの動きを少しでも遅らせるように配慮していたのか…(涙

また、生前のBobbie翁(眼鏡←ここ大事)が「彼は(去るに足りうる要件を)全て満たしたら去っていくのでは…といつも感じていた」と当時の不安を回想する姿も印象的だ。生き急ぐPhilippéを5年間最も近くで見守ったBobbieですら彼の目指す先は分からなかった。

因みに5年はエージェントとの契約期間だったと推察。ATLANTIC(レーベル)とSpinnersSpinnersトム・ベル(プロデューサー)との契約も此処で終了している。

ビジネスは契約が全てである。が、其処に契約だけでは割り切れない感情が生まれて人は懊悩する。そして時に無理難題を最愛の仲間に打つけて己の未練を断ち切ることもあるだろう。
Philippéはソロアルバムの準備と古巣(P-Funk)への合流を進めつつ、Spinnersを去ることを前提にグループ名変更を希望したものと思われる。

crazyなパンクシンガーからお行儀の良いフィリーソウルの歌い手に転身してご機嫌なパフォーマンスを披露してくれたPhilippéと、彼が豊かな情感を遺憾無く発揮出来る環境を整え守った4人のメンバーの5年間に改めて最敬礼。7枚のアルバムの楽曲、コンセプト、ジャケットデザインも全て秀逸でした。
この5年間こそが“Philippé Wynne & Spinners”だったと言っても過言ではないだろう。