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苦手、無理なもんは無理、別に死にゃしない、必要なら勝手に慣れる、お気楽に

ペルーは相変わらずエルニーニョの影響を受けていますが、今日はここはとっても気持ちのいい青空。


部屋の前の椅子に座って。日差しが心地よい

う~ん、でもどこからともなく大の苦手なクラントロ(パクチー)のにおいが漂ってきます。うへ~。

ペルーはいろんな料理にパクチーが入っています。
パクチー好きの人にとってはこんなうれしいことはないだろうけれど、
どんなに挑戦しても「あかんもんはあかん」と、一向に克服できる気配がない私にはその香りが漂うだけで食欲がなくなるほどで。

最近は言うのを忘れないようになったけれど、最初のころはレストランで「パクチー抜きで」と言うのを忘れることが多くてせっかく出てきた料理が食べれずに、パートナーとの間に不穏な空気が流れたものです。笑

まぁそんなパクチーが苦手な私ですが、人それぞれに苦手なものってありますよね。

克服したい

と思いますか?
私はパクチーは挑戦してみたけど、どうしてもだめで挑戦するのやめました。ほかの物も、無理に挑戦しようと思わなくなりました。

無理なもんは無理

人間、全部を受け入れ好きにならなきゃいけないなんてことはないし、苦手なものがあったって別に死にゃしない。そんな風に思うようになったのです。

とは言え、自分が「これはできるようになりたい」「受け入れれるようになりたい」と思うことは挑戦して、可能性を増やしたいという”好奇心”は捨ててないんですよ。

いつまでもワクワクする気持ちは持っていたいもの。

けれど、あかんもんにまで無理はする必要ないなって思うのです。
人生は短い。
挑戦したい好奇心や成長したい人間力・魅力に向かうのではなく、別にそこ克服しなくても他で補えるじゃん、とか、それ無くても心軽やかに生きてられるじゃん、ってことに貴重な人生の時間を使う必要は本当にあるのかな?と今は疑問に思うのです。

もちろん、どんなことにも挑戦して克服して、どんな虫だって食べれるようになるんだ!という志を持つ人もいるでしょう。その人を否定しないですよ。人それぞれに生き方があるから。

その人その人が、自分の人生を自分で選択して「あぁ!生きている!」と思えたらそれでいいんだと思うんです。

だけど、もし、苦手を克服しようとして苦しんでる人がいたら一度立ち止まってみてもいいのかな?と思います。

ホンマにそれ、必要?

って。
あと、私がこの国で生活してて心底思うのは、無理しなくても自分が生きるために必要なものって

勝手に慣れる

ってことです。

結構潔癖気味だった私ですが、日本とは衛生観念の大きく違うこの国で以前は発狂しそうなくらい嫌だった不衛生さやその場面に、発狂しそうになることがかなり減りました(笑)

そして食べれなかった肉類。
これも自然と食べれるようになっていきました。

慣れなきゃ生きていけない事

は体は知っているんでしょう。その逆に、

別に慣れなくても生きていける事、死にゃしない事

も知っているんでしょう。

魚介類が大好きで肉類は食べなかったのですが、魚介類がなかなか手に入りずらい環境にいたときに自然とお肉を食べるようになっていきました。

魚が食べれない分お肉は食べなきゃ体がもたないけれど、パクチーは別に食べなくても死にゃしない、と体が判断したのかな?笑

これ以外にもいろんなことに自然と慣れていくという経験をして、無理に「やらなきゃ」って苦しむ必要なんてないんだと思うようになりました。

ただこうやって経験を重ねて色んなことを知り、気づいた中で受け入れないと生きづらいし、受け入れれば何があっても心軽やかに生きていける唯一の物があると確信しました。

それは

自分

です。
お~っと!突然そこ来たか!?笑

ではまた。
最後まで読んでくれてありがとうございます♪

TORO母ちゃんでした


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