人を許せない!から、許す自分になりたい人へ

あの人許せへん

そう思い続けるのって、自分が不幸やなってあるとき思った。
ずっと許せへん人がいて、恨んでたり憎んでたりした気持ちを抱えながら生きていくって、負の感情をずっと持ちながら生きてるってことであって、自分を不幸にしてるってことやなって。

死ぬまでそんな感情を抱えて、死ぬときもその思いを持ったままこの世を去るとか、不幸なまま生きて不幸なまま死んでいくってことやんって。
それってせっかくの人生すごい無駄にしてるってことやんなって。

だから、最近書いてる「手放す生き方」をここでもするのがいいんじゃないかと思っておりましてですね。
今日はその手放すために私の考え方を書いてみます。

結論から言うと、人間は完璧じゃないし未熟やからと理解するってことです。

相手の自分への失敗や嫌なことなど、そん時はムカつくって思うし傷つくしいややなって思うのは当たり前なんだけど、それを味わい尽くしたら、

でも、あの人も未熟やし完璧ちゃうんやから仕方ないよな

って思ってみる。
だって私だって未熟やし完璧ちゃうのに、人のそれを責め続けるってなんかおかしいやん?自分はどうなんさ?って。
自分だって知らぬうちに人に不快を与えてるかもしれない。なのに、人のそれに対して心狭く許せへんって思ってるって、自分も許されず恨まれ続けててもいいの?ってことだ。

いややん、そんなンいややん。
悪気もないし場合によっては良かれとしたことを恨まれ続けて過ごすなんて、いややん。

自分が嫌やのに人のそれは許さんって、都合よすぎる。
人には心狭くて自分には広く対応してねなんて、そんなの通るわけない。

じゃぁ、自分も未熟なように人も未熟なんやから、許せへんって思いは手放すのがいい。

もちろん、嫌いな人を無理に好きになる必要もないと思う。
自分を陥れようとした人やった場合、またやられるかもって思ったらそんな人と関わりたくなくて当然。

だから、そういう人は恨む気持ちとかを手放すと同時に、関りも手放せばいい。

人を憎んだり恨んだりするにはそれなりの理由がある。そこまで深くなくても嫌いになるにはそれなりの理由がある。
けど、それでも手放す生き方を選ぶことはできる。

そして、もう一個手放すのは、相手への負の感情とともに自分の中のその嫌な出来事へのいやな感情も手放すんです。
相手を好きになる必要はない、けれど、自分が負の感情を持ち続ける必要もない。むしろ持ってたら自分がネガティブオーラに包まれ続けることになるからやめた方が賢明だ。

そして、手放せば何より自分が楽になる。
負の感情などが無くなればその分しあわせが入る隙ができる。

手放す生き方。

人はみんな未熟で至らなく、失敗を繰り返す。
それを納得して認めて、人への負の感情を手放す。

ちなみに、私は関わりたくない人はそのきっかけの出来事はもうどうでもいいかって思いながらも、関わりたくないから関係を手放す、をやってます。
もちろん、関係を切りたくない場合は出来事やそこから持った感情を手放しています。

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