嫌われてるって知った時のざわつく心との別れ方
あぁ私嫌われてるんや。。。
と気づいたときってショック。すんなりと、どうでもいいけどって思える人も少ないと思うし、そう思ってても心は傷ついたりしているもので。
もちろん、まったく気にしない人もいると思うけど、気にしてしまったり傷ついたりしてる人へ、こんな考え方もアリなんやなっていうのをお届けします。
特に大切な人やいい関係を築きたいと思っていた相手から嫌われたって思ったとき、嫌われてるって知ったときはそのショックは大きい。
自分では嫌われるようなことはしていない時もあるし、「あれが原因かな」って思い当たるときもある。
相手に原因を聞いてもはっきりしない時、原因がわかって心から謝った時、関係を立て直そうとその心は精いっぱい相手に向いていてまた良い関係を築きたいと思っている。
が、それでもどうにもならない、修復できなくて悲しくなることは人生生きていると経験することの一つじゃないかなって思います。
そんな時、どうしたらいいんやろう?
いろんな方法があると思うけど、人間関係で悩むことが多かった私が、こっちへ来てからの四年数か月の苦しい日々の中自分に向き合って知ったいろんなことから出た結論がこれです。
手放す
ってこと。
相手の気持ちやからどうにもできないんですよね。
っていうと、開き直ってるように思われるかもしれないけど、そうじゃない。
まず根底にあるのがここ数日書いている「人と自分は違うから、人は自分と違う考えや行動をするのが当たり前やし違う感情を持つのは当たりまえ」っていうところからスタートして、「人を動かすことはできない、動くのはその人自身」というごく当たり前なんやけどなかなか心の中に落ちていないそのことを、ほんまにそういうもんなんやって自分の考えのベースにしたうえで、
相手が私を嫌いなこと、許せないこと、関わりたくないっていう気持ちは私には動かせへんのや
って理解するんです。
もちろんそこに自分の悲しい気持ちや寂しい気持ちがあっても当然やと思うから、その気持ちは自分自身で気づいて自分自身で抱きしめてあげるのもめっちゃ大事やと思うんです。
抱きしめてあげながら、人の気持ちはどうにもできないってことを納得して手放していく。
そういう意味で、手放すことが一つの自分の心の解決策かなって思うようになりました。
ここで私の言葉を間違えて受け取ってほしくないのが、自分が相手に対してしてしまった失敗や後悔をなかったことにするとか仕方なかったって開き直るとかではないってことです。
さらに私は刑事事件や重大な過失で人に危害を加えた経験はないので、その場合のそれについては語ることができません。
私が書いてるのは人生の中で起こる人間関係での話です。
私はチック症があるんですね、チックは発達障害に分類されるそうです。
全ての発達障害の人がそうとは言わないけれど、人とのかかわりが得意かっていうと、失敗することが多いんですね。
自分では良かれと思ったことが不快を与えたり、特に悪いことと思わずにしていた行動が相手を不快にさせていたり、同じ失敗を繰り返してしまったから当然なことなんやけど私を相手がもう許せなくなったり、私は相手の心を軽くしようと発した言葉やけど相手にとっては不快になったり傷つく言葉だったり、正義で言うた言葉は余計な言葉やったり。。。
私は精いっぱい相手のことを気遣って発した言葉で相手を傷つけてしまったときは、ほんまなぜそうなってしまったのか❓が分からず、しばらくそのことを引きずっていたこともある。というかそれから二十年とか経ってもその後悔とか失敗を忘れられず、懺悔し続けるという。
結構過去のそういう失敗を思い出すことが多くて、後悔や懺悔の気持ちがあふれることがあるんですね。
でも、上記のように気づいてから私は私を許すようになりました。
相手を傷つけたり不快にさせたのは事実でそこは受け止める。けれど、何十年も人知れず懺悔し続けなくていいよって。
相手を不快にさせたことやその原因が分かったときは誠心誠意謝ってきた。
けど、相手の不快は取れなかった。
それでも懺悔し続けた。
そして、それ以上私には何もできないんやなってわかった。
相手の気持ちは相手の持ち物。
私のことを嫌いっていう思いは相手のもの。
もちろんだからもう開き直って過去のことはどうでもいいや~って思ったらいいっていう意味ではないんです。
気づいたら反省して謝って、そのあと自分にできるのは、これからそういうことをしないように気を付けることなんやなって思うんです。
人を変えることはできへん、でも自分だけは自分が変えることはできる。
例えば私はチック症、発達障害を持っている。
だからしょうがない、だから失敗するのは当たり前、そういう風に思うんじゃなくって、発達障害がゆえにやらかしてきたんやってことが分かったら、じゃぁ今からどうしていけばいいのか?そこに目を向けて考えていく。
その先に、許してくれることがなかった相手が許してくれる日が来るかもしれない。こないかもしれない。
どっちかはわからない。
けど、相手の感情は手放して、自分の失敗を今後に向けていくことは手放さず生きていけばいいんやなって思うんです。
私のように発達障害とかじゃなくても、人は思考の癖を持っていたり、繊細過ぎる心を持っていたりそれゆえに気になりすぎることがあったりと様々ですよね。
そして人がいれば必ず人間関係があり、さらに、人はみんな違うからそこに摩擦が生まれることも多々ある、だから人間関係に問題が起こることは日常にあふれてる。
その当たり前にあることやからこそ、傷つき続けるのではなくて、自分にはどうしようもないことだと手放すこともめっちゃ大事なことやと思うんです。
傷つけることもあれば傷つくこともある。
人は生きてれば必ず傷つける方にも傷つけられる方にもなる。だから開き直って傷つけた時も笑ってたらいいとは思わんけど自分が、傷ついたときに相手を許せるようになれたらえぇんちゃうかと思うんです。
そんで、人間関係の問題にどっぷりつかるんじゃなくて、手放す生き方もありなんちゃうかな。
うまく書けてないかもしれません。
疑問点などあったらお気軽にコメントください!
最後まで読んでくれてありがとうございます
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?