分かって欲しい欲求から抜け出したら気楽になった。
誰もわかってくれないと思って辛いときってあると思う。
私はこっち来て四年間、ずっとそうやった。
誰かにわかってほしくて、私だけが悪いんじゃないことを知ってほしくてつらかった。そんでわかってもらいたいからどこか必死になってた。
何かに強い欲求があるのにそれが叶わないと、周りから見たら「ちょっとあの人おかしいよな」っていう言動や行動をしている。自分では全く気付いていない。(エゴイメージという)
そのエゴイメージがどんどん強くなって行って、余計悪い方向へ物事や状況が向いていくっちゅうとっても残念なことになっていくという現実。
そのエゴイメージのことを知っていたのに私はやらかしていた。
わかってもらいたい、私の辛さ、私だけが悪いといわれ続けているけど誰か一人だけが悪いなんてことはないし、私だけが悪いわけじゃない!誰かほんまのこと知ってよ!わかってよ!そういう思いが四年間のうちにどんどん募って、どんどんエゴイメージがひどくなっていたんだよなぁ。
今になればわかるけど当時は必死やったから自分の状況がわからなかった。
四年数か月、ずっとそんな感じで過ごして今、わかってほしい欲求がほぼなくなって今思うことは、わかってほしいと思う必要がないってことだ。
いや、わかってほしいって思うのは当然なことでそう思うのは自然なことなんかもしれんけど、わかって欲しいと願っても願わなくてもわかってくれてる人はわかってくれてる。
今わからなくても、いつかほんまのことがわかるときがくる。
私は私だけが悪いといわれ続け、ペルーの空の下、ポツンと日本人になった。笑
日本には私を信じてくれつつも、私のあかんことはあかんと言うてくれる友達達がいた。見守ってくれてる人たちがいた。心強かった。
でも、今自分がいる環境でそういう人がいないのはほんま不安やったし寂しかった。つらかったさ!そりゃ辛かったさ!!
でも、そんな日々のおかげで気づいたことがある。
ホンマのことは私自身が分かってるからそれでえぇ
って。
自分は真実をわかっとる。
自分の非も他社が自己保身のために嘘ついて私だけを悪者にしてることもわかっとる。
一人ボッチはつらい時期もあるけど、堂々としてたらえぇ。
私には見えへんけどわかってくれてる人もおるかもしれへん、今はわからなくてもいつかわかってくれる人もおるかもしれへん、私を悪者にしてる人の言葉を信じ切ってる人もおるかもしれへん、そもそも私のことを悪者にしておけばいいと思ってる人もおるかもしれへん、理解しようとすら思ってない人もおるかもしれへん、、、でもそれどれも自分以外の人のことやから私には操作できへん。
わかってくれてる人がおるかもしれへん、そう思ってたらいい。真実は私の中にあるから。
そして、遠く離れた日本で私を応援してくれてる人たちがおる。
そっちに目を向けよう。この環境に居なくても、この地球には私を大切に思ってくれてる人たちがおる。
それと人それぞれに立場がある。人の数だけ立場の数もある。
その立場によって何が正しいとか何が悪いとかの観方は変わる。
自己保身をしたい立場の人は、自分を守るために人を落とそうが自分を守ることだけが大事やから、私を悪者にするのは当然のことと言えるわけで。
まぁ私からしたら迷惑な話やけど、その人はその生き方を選んでるからそれでえぇんちゃう?と思った。
人の捉え方が私には迷惑な話であっても、人の人生をどうにもできへんからそこへの不満や憤りは手放す。
手放すなんてなかなか難しいけど、手放せば自分が穏やかで幸せに過ごす日々が手に入る。
はいはい、そうですか、っていうて放っておく。
私は私の人生を輝かすことに目を向けておけばいい。
そう思ったのです。
最後まで読んでくれてありがとうございます
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