親との疎遠から親への感謝へ。木の上に立って見る親だからこその私
オカンと色々話してた。たまーに電話すると私はなんでも話すから心配かけるかなと、
心配せんでいいって言うてもすると思うけど、せんでいいでな。私はそんなヤワじゃない。負けへんしこんなことでは終わらんから。
って言うたら、
まぁそうやろうな、それは重々存じ上げてます
って。笑
まだ日本におる時に言うてた。
アンタは強い。お母さんなら耐えられへんしお母さんにはそんな生き方できへんだって。
でもな、私はいつも誰か支えてくれる人や応援してくれる人たちがおったからな。皆さんのおかげなんやでって話した。
そんな話をしてたから、おかんは心配はあるやろうけど私のことやで大丈夫って思ってるようだ。
が、ペルーへ来て味方も支えてくれる人もゼロやった時、メンタルもズタボロになって流石にオカンにも話せへんかった。
けど、こんなのから抜け出す!って腹括った2020年5月以降とことん自分や問題に向き合って、少しずつ答えを出し始めたころから、いろんな暴露話をし始めた。
一回オカンに
「もう帰っておいで」
って言われた。
「TOROは置いていけへん。私がおらなTOROはろくに面倒見てもらえずに死ぬ」
って言うたら
「TOROもそうやけどアンタがおかしくなったら困る。TOROのことは諦めな」
って言うた。
もう十分おかしくなってたけど。笑
私は
「TOROには責任がある。犬だって生きてて命がある。それを見捨てるなんて私にはできへんし、自分だけ逃げてTOROを見殺しにしたら一生後悔する」
って言うた。
多分すごいキッパリと力強く言うた。
そっからおかんは帰ってこいと言わなくなった。
私は大丈夫やと信じてくれてるんがわかった。
うちの親はあれこれ口出さない。若い頃は口出してくることもあったけど、出さなくなった。
30歳過ぎた頃、家を出てから自分で考えて自分で働き自分の食い扶持を自分で稼ぎ、アパートを借りて光熱費その他支払いもきちんとして、周りに支えられながらも自分で稼ぎ自力で自立して生きてた。そうやって自分の足で立って生きてる姿を信頼してくれていたんやと思う。
で、TOROを守るって言う私の選択も尊重してくれてる。
口も出さず手も出さず、過保護にもせず、遠くから見てる。でも日本でやってほしいことは頼めば動いてくれる。
自分の人生やで自分で決めて自分で立って生きていけばいいって言って、木の上に立って見てる。
まさに「親」であってくれることに感謝してる。
子供の頃から必要以上にあれこれと助けてくれる親じゃなかったし、それを「なんだかな」って思った子供時代もあるけど、だからこそ「自分で何とかせなあかん」と人に金をせびることもなく、自分でやっていける道や方法を探しながら生きることができてるんやと思う。
木から降りてきてはあれこれすぐに手を貸して、先回りして助けて、困ってたら甲斐甲斐しく背中さすりながらなんでも持ってるもの差し出して、って私のケツを全部拭く親やったら自分のケツを拭けん人間になって、人に金せびったり人から奪ったり何でも人のせいにする人間になってたかも知れへん。
周りに支えられたり愚痴聞いてもらったり、教えてもらったり応援してもらったりしながらやけど、自分で立って生きていける力を持ててるのは親のおかげなんやなって思う。
分かり合えへんくて10年疎遠の時期があったこともよかったのかも知れへんけど。
オカンが、アンタは大丈夫やからって言うてくれるのを裏切らんように、これからも強く生きていこうと思う。
確実に日本におる時よりも強くなってると思うわ😁
でもまだまだ未熟者やから、まだまだ成長していきたいなぁ〜。
今日は私の独り言をよんでくれてありがとうございます!
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