見出し画像

おこるのは夢で

10月に入って以降、なんとなく身の回りの世間がわさわさと動き出してる気配があって、それにともなってコミュニケーションのもらい事故も起こりやすくなってる気がする。冷静に考えると全然悪気のない言い回しをなんだか嫌だと感じたり。あちこちで体当たりをくらうような、元気なときにはなんでもないことでも、ちょっとしたダメージとして積み重なってくる。椅子取りゲームで動きたいひとと動きたくないひとがぶつかりあっているみたいな。

そういう日々を反映してか、ここのとこ怒る夢をたくさんみる。自分が誰かをもの凄く怒鳴ってたり、何かに対して怒っているひとが登場したり。現実には起こってほしくないことを夢でみるのは結構消耗する行為なのでなるたけみたくないのだけれど、夢で怒りを発散してるからか、現実の日常では夢のなかほど酷いことは起こらない。うまくバランス取れてるということなのか。

内臓には各々司る感情があって、怒りは肝臓の管轄だそうだ。肝臓のはたらきがしっかりしている人は正義感の必要とされる職業に向いていると聞いたこともある。扱い方によっては怒りは必ずしもネガティブなものでもないらしい。とはいえ扱いが難しいから困るのだけれど。

そういえばロボットも夢をみるのだそうだ。正確には、トラブルをわざと与えた場合に「人間が夢をみているのと似たような思考をする」ということらしい。その実験では、四本脚のロボットの脚を一本取ってしまうと、しばらくうずくまって夢をみた後、やがて三本足で歩きだすのだとか。

寝てるときくらい何も考えずに休みたいけれど、体と頭は必死で環境に適応しようとする。もうちょっと必死にならずとも暮らせるようなリズムが戻ってくればいいのだけれど。