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家にいるのもわるくない

ちょっと用事があったので、電車で出かけたら街に人が溢れててびっくりした。明らかに先月までと比べて人出が多い。

まあいいんだけど。なんだかその様子を見ているだけでも疲れてしまって、早々に帰った。

お出かけを楽しむのはいいことだ。でもどこか余裕がないような、へんな気の張りつめ方をしているような気配を感じてしまった。「(今まで散々我慢させられてきたのだから)楽しまないと自分が可哀想だ」みたいな必死さが、誰の気持ちの底にも少しずつあるように見える。みんながみんな長いこと辛抱を強いられているわけだから無理もないけれど、まるで日が暮れたのに「家に帰らない!」と全身全霊で抵抗するときの子どもみたいな、しようもない頑なさが街全体に満ちているように思えた。

私がくたびれていたから、たまたまそう見えたのかもしれない。だからまあほとんど邪推みたいなものだけれど、家に着いてコーヒーを淹れて編みものしはじめたらあまりにも静かで穏やかで「さっきまでの頭が締めつけられるような煩さはなんだったんだ…」と思ったのは確かだ。

テレビもラジオもつけないで(そもそもうちにはテレビがねぇ)庭木で鳴きかわす鳥の声だけ聞いている分には、いつだって世はこともない。今年はあまりにも引きこもってるのでなんかマズいのではという気がしてたのだけれど、朗らかな気持ちでいられるなら外にいようと家にいようとべつに関係ないかと思い直した。