架空単独ライブ「Radio」

この度、サメゾンビ初架空単独ライブ「Radio」を開催することになった。


ことになったというか、ことにした。

滝田目線で言えば「ことにされた」

もっと詳しく滝田の気持ちになって言えば「何言ってんだこいつ」と思っただろう。

というのも、ネットラジオ「サメゾンビのシン・オジラ」の3月10日収録回にて僕が急に「架空単独ライブをやろうと思う」と切り出してそのままの勢いで開催決定までこぎつけたからだ。


※45分〜あたり


聞いてもらったらわかる通り「架空単独ライブをやることにしました」と言われた滝田はあわや放送事故レベルで黙っている。なんなら一旦その場からいなくなってた気もする。一回実家に帰っていたという説もある。そのくらい架空単独ライブという言葉を飲み込めていない。

そりゃそうだ。架空単独ライブという言葉は僕が作った造語だ。いきなり説明もなしにやりますと言われてもなんのこっちゃである。

ラジオ内でも話しているが、つまりは皆さんが想像するいわゆる単独ライブを実際にはやらないが架空で開催することにしてそこに向けてネタ作りなど頑張っていこうよ。っていう話。

ラジオではあれよあれよと開催日時は4月30日、タイトルは「Radio」、ネタ数は9本、幕間の企画も作る、せっかくだからライブ配信はする。といった詳細が、体感2秒で決まった。


あとあと考え直してみて、ライブ配信はせずに動画をYouTubeにアップする、幕間はいらない、ネタ数は14本。と言った具合に修正された。


いくら架空とはいえ単独ライブの詳細は”体感2秒”ではなく”実際1週間”で決めるべきだということを知った。

別に単独ライブがやりたくてやりたくてしょうがなくてこのようなことになったわけではない。

ことの発端は2月の下旬。スマホに「新型コロナウイルスの影響で3月の事務所ライブは中止になりました」という内容のメールが届いた。

そこから数日間、様々な事務所やライブ制作会社がライブ開催中止を発表し、ライブ以外のイベントも軒並み中止になっていった。

その頃の若手芸人たちのtwitterなどを見てもらったらわかるが、大半が意気消沈し、途端に界隈には暗い雰囲気が漂っていった。


僕はと言うと「これはチャンスだぞ」と思った。

元々ライブ数の少ない僕らにとっては、普段月に20本ほどライブに出ているライバルたちとの差を縮めるチャンスだ。とそう思った。

今こそ頑張る時だ。そうと決まればやることは一つ。

ほぼ毎日自宅からバイクで30分のところにある作家”福西のこし”の家に通った。

もちろんネタ作りのため。

到着と同時にまずは二人でキッチンで一服する。これが俺らのルーティーン。

これから始まる闘いへの戦闘準備。俺がタバコを吸い終わったら、二人で福西の部屋に赴く。


そこからはひたすらに



福西はtwitter。


黙々とtwitter。



俺は


ホームスケイプ。


知ってるかな?アプリゲームのホームスケイプ。


そして3時間ほど各々が楽しんだら俺が「じゃそろそろ帰るわー」


「お疲れー」


「じゃまた明日来るわー」




酷い。


明日来るわーじゃないんだよ。来んな。


一人称を闘う男らしく”俺”にして一生懸命ゲームしてるんじゃないよ。


僕も意気消沈している芸人の一人だったのだ。

いや、暇を優雅に楽しむ大学生くらいにまで成り下がっていた。

意気消沈しているライバルたちと差を縮めるどころかどんどん差が広がっていくのを感じた。

あの時は本当にモチベーションが上がらなかった。

すでにネタ見せを終えていた新ネタは披露する場を失って宙に浮いてしまい、叩く気にはなれなかった。

次に開催される新ネタライブは2週間後。それも開催されるかどうかわからない。

全然やる気が起きなかった。

一番酷かった時は気づいたら無表情で冷凍いちごをひたすら食べていた。

画像1

この時にさすがの僕も現状がヤバいことに気づいた。

何か目標を決めなければ。


そう思って行き着いたのが架空単独ライブというわけだ。


僕は誰かに「○○を毎日やる」とか「○日までに○○をやる」と宣言しなければ頑張れない怠惰人間だということを忘れていた。


ということで、あと1ヶ月ちょっと。架空単独ライブに向けて頑張ります。


アップした動画は有料にするのかどうか、するならば値段はどうするか。など詳しいことは決まってないけれど、楽しみに待っていてもらえたら。


よろしくお願いします。

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