見出し画像

「人生の闇を照らしてくれる光」(生き方版1月1日)

「人生は闇ばかりだ」と先行きが見えず一歩が踏み出せない貴方に贈る、五木少年が悟った人生の真理を学ばせていただこう。

【タイトル】「人生の闇を照らしてくれる光」(生き方版1月1日)

【著 者】五木寛之(作家)
 1932年生まれ。91歳。
 著書多数。「大河の一滴」「青年は荒野を目指す」など。

【要 約】
中学1年の時。
人が亡くなり、山を越えて隣の集落に知らせてこい、と言われた五木少年。
父親の里と母親の里が、山を隔てた集落だった。
深夜、提灯を持って、5〜6時間、真っ暗な山道を歩く恐怖体験。
下から渓流の音が聞こえる。
断崖を歩いているのが分かる。
落ちたら命がない山道。
数時間、山道を歩いた。

雲が切れて月の光で、道が淡く照らされた。
山道の全体像が分かった。
やがて先の集落の灯りも見れて、安心した経験を回想。

集落までの距離が縮まったわけではない。
背負っていた荷物が軽くなったわけでもない。
道が広くなったわけでもない。

だけど、途端に安心して歩けるようになった。
五木少年は思った。
仏教とは、そういう闇を照らしてくれる光の役割なんだと。
宗教とは光。



【所 感】
混迷を極める行き先が全く見えない現代社会。
そんな時代だからこそ、

「動けば変わる」

と思うのだ。
自転車ランプの法則なるものがある。
この法則は、自転車と自転車のライトの関係で、ペダルを漕げば、照らされるというもの。
自転車ライトは、ペダルを漕ぐとギアが回転し、発電してライトが点灯する。
自転車のランプがつかないからといって自転車の前でいつ出発しようかと悩んでいても始まらない。
まずはペダルを漕ぐのだ。
まずは一歩を踏み出して,隣の集落を目指すのだ。
その行動があるから、進むべき道に光が当たり、闇を照らす存在に安心感を抱くのだ。

五木少年は山道を歩いたという行為をしたからこそ、闇を照らす光の存在に気づくことができた。

私がやろうとしているこの取り組みも見切り発車。
まず「やる」と「気づき」が生まれる。
修正を重ねると、やがて、「やる気」スイッチが入る。
まずは十回を目指そう。


https://youtu.be/3Azwzjb2oTQ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?