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一筆入魂【0071〜0080】

0071/1000 「締め切りなしの作業なら、思いっきり楽しい仕事になるだろうが、おそらくまったく進行しないに違いない。」

締め切りなしの作業なら、思いっきり楽しい仕事になるだろうが、おそらくまったく進行しないに違いない。
(漫画家 手塚治虫)

何事も締め切りがあるから行動に火がつくのです。
期限を切って人生を楽しむのです。

0072/1000「成功の反対は失敗ではなく、本当の失敗とは何もしないこと。」

成功の対極は失敗ではありません。
成功に向かう過程の中でいくつかの失敗を繰り返し、目指すべき場所が手に入るのです。
だから、成功の対極に来るのは「何もしない」ということになるのです。

0073/1000「楽観的であれ、過去を悔やむことなく、未来を不安視するのでもなく、今現在の『ここ』だけを見るのだ!」

集中すべきことは今日一日です。
過去でもなく、未来でもなく、今日です。
この積み重ねが未来につながります。

デール・カーネギーも言っています。
「今日1日を区切りで生きよ。
 今日だけだと思えばどんなことでも頑張れることができる。」

0074/1000 「最初のひらめきが良くなければ、いくら努力してもダメだ。ただ努力だけという人はエネルギーを無駄にしているにすぎない。」

最初のひらめきが良くなければ、いくら努力してもダメだ。
ただ努力だけという人はエネルギーを無駄にしているにすぎない。
BYトーマス・エジソン

世界の発明王・エジソンは、ひらめきこそ全てと、名言を残しています。
ひらめきとは直感力。
自分を信じて、信じた道を歩む。
前を向いて歩めば、道は開ける。

0075/1000「ステップ・バイ・ステップ どんなことでも何かを達成する場合にとる方法はただ一つ。一歩ずつ着実に立ち向かうことだ。これ以外に方法はない。」

ステップ・バイ・ステップ
どんなことでも何かを達成する場合にとる方法はただ一つ。
一歩ずつ着実に立ち向かうことだ。
これ以外に方法はない。
BYマイケル・ジョーダン

バスケットボールの神様でさえ、地道な努力の大切さを指摘しています。
どんなに才能があろうと一歩ずつ階段を登るように歩まなければ、望む景色を手に入れることはあり得ないのです。

0076/1000「晴れ着より、仕事姿が似合う人って素敵ですよね」

今日は成人の日です。
成人式を迎える皆様、おめでとうございます。

ステキなお話を紹介します。
自分の心に問いかけてみよう。

「仕事着姿が一番かっこよかった」

 以前、成人式の会場でステージに上がって暴れたり、会場の外で酒を飲んだ り、式の間中ずっとおしゃべりをしている新成人が大きな社会問題になった。
 そこで宮崎市では数年前から会場を新成人の出身中学校に変え、さらに地域 の人たちによる手づくりの成人式にしようということになった。
 1 月 9 日、地元の中学校に行ってきた。やっぱり成人式らしく女の子たちの 着物姿は豪華絢爛(ごうかけんらん)、男の子も原色の派手な紋付袴(もんつき はかま)を着たり、スーツ姿の子らも奇抜なヘアースタイルをバッチリ決めて いた。
 中学校単位で行うようになってから暴れる子もいなくなり、今年も滞りなく 執り行われた。
 後日、スタッフとしてかかわった人たちとお話しする機会があった。 「後ろから見ていた分には素晴らしい成人式だった。」と言う。
 この「素晴らし い」というのは、「何もトラブルもなく終わった」という意味だ。
 「でも前から見ていると、それはそれは話を聴く態度がとてもひどかった。 特に男の子は」と言う話が出てきた。
 なるほど、昨今は酒を飲んだり、暴れたりする「反社会的」な新成人は少な くなった。しかし人の話をふんぞり返って聴いていたり、式の間中、ずっとお しゃべりしている「非社会的」な光景が目立つようになった。
 集団の中にいると、「自分一人くらい・・・」という軽い気持ちでつい隣の人 とおしゃべりしてしまうことがある。しかし、みんなが同じ行動をとると、結果的には会場は騒がしくなる。
 また、椅子にふんぞり返って座るその子にとっては普通のことなのかもしれない。だからその態度そのものが厳粛な式典の雰囲気を壊していることに全く気付いていないのだ。
 小学校に上がった頃から、子どもは集団生活の中で少しずつ「社会性」を獲得していく。それを私たちは「成長」と呼んだ。学年が一つあがるということは、大人への階段を上がることに等しかった。
 20歳になる頃には最低限の常識や社会性が身に付いているはずということで、 この国は彼らに、「大人」としての特権をいろいろ与えることにした。
 ところが、高度経済成長と、その後のバブル経済の時代、私たちはあまりにも忙しくて、先人たちが当然のことのようにやってきた「子どもを大人にするという宿題」を忘れてきたように思う。それが今「非社会的」な子ども達の大 量発生に見て取れる。
もちろん、ちゃんと「宿題」をやってきた大人たちもいる。いい話も聞いた。
会場にクロネコヤマトの仕事着を着た若者が入ってきた。1 日休むとトラック 1 台分の荷物の配達が 1 日遅れる。人手も足りず、仕事を休むこともできなかったということで、彼は式の途中で式典の会場に立ち寄ったとのことだった。
受付の人が「住所を書いてください。最後に記念写真を撮って送りますから」 と言うと、「いやぁ、この格好だから記念写真はいいですよ」と彼は断った。その時、受付の女性が言った。「何言ってるのよ、あなたが一番かっこいいですよ!」
よくぞ言ってくれたと思う。そしてその女性は、「あの子は聴く姿勢もよかっ たですよ」とも話していた。
  出来上がってきた記念写真を見た。
左端に写っていた緑色のジャンパー姿の若者が、誰よりも誰よりもかっこよかった。
 (水谷もりひと 「日本一心を揺るがす新聞の社説」みやざき中央新聞)

0077/1000「精神とは、鍛錬なしには堕落する。」

精神とは、鍛錬なしには堕落する。
BYレオナルド・ダ・ヴィンチ

最も困難で、最も偉大な勝利は自分に勝つことです。
我勝道とは、自分の弱い心、怠け心に負けないこと。
我勝道とは、自分と勝負する時の言葉でもある。
自分は怠け者であるという自覚があるからこそ、弱い自分と勝負する機会をあえて設定するのです。
自分と勝負する時は肉体的試練を課すようにしましょう。

我勝道の実践行として3月にフルマラソンに挑戦する。
フルマラソンの素晴らしさは、
 ・自分の全力が出せること
 ・限界まで挑戦できること
 ・勝負することで充実感、達成感が得られること

0078/1000「イチローを目指すより、サカナくんを目指せ。」

野球界のレジェンド・イチローを目指すのはハードルが高すぎます。
でも、小さな世界でもかけがえのないオンリーワンを目指すなら、サカナくんの生き方が参考になる。サカナくんは「好き」から人生を開拓しています。

そんなサカナくんからの「世界は広いんだよ」、というメッセージを紹介します。

「広い海に出てみよう」

中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

 中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。

 ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。

広い空の下、広い海へ出てみましょう。

0079/1000「事実は一つ。見方は二つ。」

アフリカに行った靴家の話

あるアフリカの国に優秀な靴屋の営業マン二人が視察に行きました。
アフリカのその国の人たちは誰も靴を履いていませんでした。
帰国した二人の営業マンは社長に報告します。

社長「わが社の靴は売れそうかね」

そう尋ねられ、一人の営業マンは答えました。

「この国では無理です。誰も靴を履いていませんでした。」

もう一人はこう答えました。

「すごい市場です。誰も靴を履いていませんでした。」

アフリカのその国は靴を履く習慣がありません。

事実は一つです。
しかし、その事実を受け止め、解釈するのは自由です。
物ごとを前向きに捉えるか、後ろ向きに捉えるかの違いがあるだけです。
事実は一つ。解釈は自由。

0080/1000「生活『しなければならない』仕事『しなければならない』という心構えが生活や仕事をつまらなくしている元凶」

イソップの寓話に「3人のレンガ職人」という話があります。
中世ヨーロッパのとある町で、大聖堂の建築が行われていました。
そこへ旅人が通りかかり、一人の職人に尋ねます。

「何をしているのですか?」

するとその職人は不機嫌そうに答えました。

「見たらわかるだろ。ただレンガを積んでいるだけ。つまらない仕事さ。ほんとに嫌になっちゃうよ。仕事も辛いし、給料も安いし、こんな仕事、早く止めちまいたいよ。」

しばらくして二人目の職人にも尋ねました。

「何をしているのですか?」

すると、2人目の職人はこう答える。

「強い頑丈な壁を作っているのさ。まあ退屈な仕事だけど、それなりに給料ももらえるし、家族を養わなくちゃいけないし、文句は言えないよね。」

そして、三人目の職人にも尋ねてみました。

「何をしているのですか?」

すると、3人目の職人はにこやかに胸を張ってこう答えました。

「街中の人が喜ぶ大聖堂をつくっているんだ。自分が亡くなってからも、子供や孫達が私の仕事を誇りにしてくれると思う。」レンガを運んで積み上げる仕事。
やっていることは同じなのに、仕事に取り組む意識・姿勢が全く違います。
目的が違うのです。
一人目は、やらされている。
二人目は、ただ壁を作っている。
三人目は、自信と誇りを持ってやっている。
仕事とは「何のためにするのか」という理由が大事なんです。
この「何のために」が明確になれば、自分の存在価値が見えてくる
のではないでしょうか。

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