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一筆入魂【0591〜0600】

0591/1000「1%の希望を見つけてください。それは時間とともに輝きを増して99%の絶望を消し去る。」

ひとかけらの希望もないと感じていても、どこかに希望のかけらが存在します。
そのわずかな1%を見つけるだけでも心が楽になり、徐々に絶望が消えていきます。
今は何かと心が疲れる話題満載ですが、いきなり100%の希望を見出すのではなく、小さなキッカケ探しをしましょう。

【ウイルスが人間の肺を攻撃するのは、人類が空気を汚すのとそっくり。】
 ・インド北部から数十年ぶりにヒマラヤが眺望。
 ・中国のスモッグが減った。
 ・イタリアのヴェネツィアの運河が綺麗になった
 ・アメリカ北部の主要都市で大気汚染が大幅に改善された。
  過去5年間の同月平均と比較して30%以上低下。
 ・イギリスでは深刻な大気汚染の原因となる車両からの
  排気ガスから放出される物質が60%以上減少。

あれだけ改善されなかった地球環境が、わずか数ヶ月でこれだけ改善。

0592/1000「限界という鎖をつけたのは誰だ?能力がないと言って小さな箱に閉じ込めるのは誰だ?全部自分や。そんなもん全部、ぶっ壊せ!」

・・・あの日の自転車日本一周旅の日記より・・・

「サトウキビ収穫アルバイトのジレンマ」

石垣島と西表島に挟まれた小浜島は、サトウキビ畑の島だ
周囲19キロの小浜島のほとんどは、サトウキビ畑に覆われている。。
球場規模の畑に入って手斧で1本1本刈り取っていく作業は、雨の日もカンカン照りの日々も続く。1月の八重山諸島の気候はこちら関西の初夏に匹敵する暑さがある。毎日フルマラソンを走っているようなハードな労働の日々だ。
15歳から47歳までの多様な人々と協力し汗を流す。
学校に行っていない中学生から旅人の資金稼ぎ隊。
どういうわけかこの島に流れ着いた中年男性
毎年この時期に出稼ぎに来るリピーターたち。
実にさまざまな個性豊かな10数名との共同生活なのだ。
日中は畑で働き、仕事後は島酒を飲み交わしながらみんなと話をして過ごす。旅の出来事、海や島の美しさ、仕事の話、そして時には「人間って凄い」と思わせる人生論についても激論する。
例えばこんな感じだ。
春先から秋にかけて新潟県で米作りに励んで、小浜島に流れてきたエビスさんが、突然話を切り出した。

「君たちはノミ、知ってる?君たちはこんなノミじゃないの?」

「何、何?ノミって何?」

一同はエビスさんの話に耳を傾ける。

「コップの中にノミを入れると飛び出して行くんだ。
 飛び出さないようにガラスの板を置いてあげると、ノミはコンコン打つんだ。  
 ノミも馬鹿じゃないから、
 次第に頭を打たないように飛び始めるんだよ、コップの中で。
 そしてそっと、そのガラスをはずしても、ノミは飛び出していかない。
 ガラス板があると思っているから、
 そのコップの縁より高く飛ぶことはしなくなるんだよ。
 君たちはそんなノミじゃないの?」
 
キビガリ生活が始まって1週間が立つ。誰にも肉体的疲労が蓄積されて、知らず知らずの内に自分で限界という名の殻をつくっていたのかもしれない。
続けてエビスさんは謎かけをするように話す。

「こんな象がいるんだ」

「どんな象ですか?」

「サーカスで飼われている象の話なんだけど。
 子象の時、逃げないように足に鎖をかけて杭をうつんだ。
 それがどんどん成長して、大人の象になっていくと。
 杭の大きさはどれぐらいの杭になると思う?」

僕たちはそれぞれ感想を言う。

「それはかなりでかいんじゃないですか」

「大人の象だから電柱ぐらい太いのがいるんじゃないですか」

エビスさんはニヤリと笑いながら「いや、杭は小象のときと同じ大きさでいいんだ。」とグラスを手にする。

一同「ええ、何でですか?」

「象は、子どもの時から抜けないと思い込んでるから、
 大人になっても抜けないと思っているんだ。
 だから抜こうとなしないんだよ」

エビスさんはこの勝負勝ったと余裕で泡盛をあおっている。
このエビスさんは47歳の高齢にも関わらず、畑に入るときは必ず先頭をきって我々を引っ張っていく。
2人分の作業はこなす人なのだ。それに比べておれたちは、疲れもピークを迎え、この程度働けば十分だろうと自分で自分の限界を作っていた。
このエビスさんの動物のたとえ話は的を射ていた。
さらにエビスさんは続ける。

「君たち、水槽の中に外来種のブラックバスがいるとするよな。
 エサになる小魚を入れると、
 バグッとすごい勢いでアタックして食べてしまう
 元気なブラックバスだ。
 それをエサの小魚とブラックバスの間にガラスの板を入れてみる。
 ブラックバスはガラスにガツンガツンとぶつかって、
 そのうち小魚にアタックしなくなるんだ。
 それを見届けてから、ガラスの板をスーッと抜いてあげると
 小魚はブラックバスの間を泳いでいるのに
 ブラックバスはそれでも小魚を食べない。
 さて、どうしたらそのブラックバスに
 その小魚を食べさすことができるかな?」

「なんだ、なんだ、どうすればいいんだ」

誰も答えられない。

「その方法は簡単だよ。野生のブラックバスを一匹入れるんだ」

野生のブラックバスは迷いなく小魚に食らいつく。それを見て周りのブラックバスは、教育という呪縛から解き放たれるとエビスさんは言うのだ。
毎日のフルマラソンを走っているような生活に心身共にピークを迎えていた僕たちには、ショックだった。
サトウキビ刈りの作業も同じように似ているところがあって、僕たちはエビスさんにはできること、オレたちには出来ないことと勝手に物事の枠を決め込んで、限界の壁を自分たちで作っていたからだ。

限界という鎖をつけたのは誰だ?
能力がないと言って小さな箱に閉じ込めるのは誰だ?
全部自分や。そんなもん全部、ぶっ壊せ!

限界という枠は取り外し、更におれの行動が周りに影響を与える野生のブラックバスやエビスさんのようになってやろうと一同は明日からの畑作業に気合を入れたのだ。

0593/1000「君はごちゃ混ぜにしてる。大事なこともそうでないことも、一緒くたにしてる。」

「大変だぁ」が口癖になっている人は、
どうにもならないことを「大事なこと」として扱い、
本当に大事なことを忘れたり、見落としていることが多い。
本当は大事なのに、時間が使えていないものがあれば、そこに目を向けよう。
タップリと時間があるのですから。

0594/1000「涙を流さなければ、魂に虹はかからない。」

七色のきれいな虹は、雨が降ったあとにかかります。
それと同じように悲しかったり、つらいと感じて涙を流したとしても、いつかの希望の虹に変わります。

0595/1000「「もう、ダメだ」を「これからだ」と言うのが希望。」

「あたりまえ」を「ありがとう」と言うのが感謝。
「もういいや」を「もう少し」と言うのが辛抱。
「疲れた」を「頑張った」と言うのが充実。

こんな時代だからこそ、前向きに。
言葉遣い一つで、気持ちは変わるものです。

0596/1000「雨を感じられる人間もいるし、ただ濡れるだけの奴らもいる。BYボブ・マーリー」

同じ道を歩いていても、何も考えずに歩いている人がいれば、美しい花を見つけて感動する人もいます。
レゲエの神様は、それを「雨」に例えて表現しています。
過ぎゆき日々に怯えながら過ごすのではなく、心に余裕をもって、最悪を想定して最善を尽くす感性を磨くことが大切です。

0597/1000「周りの環境は、心の状態によって変わる。心が暗いと何を見ても楽しくない。静かで落ち着いた環境にいれば、心も自然と穏やかになる。by空海」

環境と心は密接に関わっています。
片手だけで拍手ができない。
片足だけでは歩けない。
右手と左手、右足と左足が感応して、拍手なり、歩くことができるもの。
頭の中が恐怖や雑念だらけで「心」が平穏でないと感じるなら、静かな一人のゆったりした「環境」に身を置いてみましょう。
それまで心を支配していたイライラや不安な気持ちが穏やかになるはずです。
ステイホーム週間なので、静かで落ち着いた環境でリフレッシュしましょう。

0598/1000「全部うまくいったらしんどくてしょうがない。困難は神様がくれた有給休暇。」

コロナショック、ステイホーム週間は自分を見つめる時間。
・アフターコロナの生き方(どんな人生を生きたいかを考える)
・これからの働き方(「買う」から「獲る」「作る」へ)
・住む場所を考える(自然豊かな綺麗な空気、水がある季節感がある土地)
・知足生活(必要最低限で理想となる暮らしの必要経費を計算)
・情報収集(情報に振り回されることなく、理想の暮らしをしている人からの発信を限定で信じる)
・3つの力を養う(人間力・能力・体力)
・有事に備える(コロナに追い討ちをかけて発生しそうな自然災害を想定する)
・家庭教育のあり方(環境、当たり前に感謝、基本は自分が源泉)
 
最悪を想定し、最善を尽くすステイホーム週間。

0599/1000「人生から返ってくる球は、いつか自分が投げた球。」

・・・ある日の自転車日本一周旅日記より・・・

「人生はブーメラン。時空を超えて与えたものが与えられる。」

本州中央部から南側の太平洋に突き出る日本最大の紀伊半島。
U字型の紀伊半島を和歌山県から反時計回りに走ること6日目。
ようやく6時の位置にある本州最南端「潮岬」にやってきた。
本日は、野宿ではなく、串本市にある「みさきロッジユースホステル」に宿泊。チェックイン前だったが、YHに荷物を置かせていただき自転車で周囲を散策。
ここは素晴らしいところだ。
部屋から外を眺めると180度広がる太平洋が、ドカーンと広がる。今日は風がきついが誠に景色は素晴らしい。
少し走ると本州最南端へ行くことができる。
記念写真を一枚。
途中、大きな公園でキャッチボールをしている親子がいる。
のどかだ。

本州最南端から少し走ると、紀伊大島がある。
1993年に橋がかかり渡ることができるようになった雑誌によく特集される島なのだそうだ。
橋を渡り、行ってみることにした。
島特有の細かい起伏が続く。上り坂がきつい。多すぎる。
観光地らしいところがどこにもない。
引き返そうかなと思った矢先、「トルコ記念館」の標識が目に留まる。
なぜ、串本にトルコなの?
気になったのでトルコ記念館を見学した。
ここには、学校では教わることがなかった素晴らしい歴史があった。

1世紀以上前の日本とトルコを紡ぐ歴史。

1890年、オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦「エルツゥールル号」が親善大使団として日本に派遣されていた。

600名の軍人を乗せたエルツゥールル号は、日本を訪れ、横浜に数ヶ月停泊したのち、帰国する途中で悲劇が起こった。

折しも日本には台風が到来しており、強風に煽られ紀伊大島の樫野崎の岩礁にエルツゥールル号は、激突し沈没する。乗組員のほとんどが海に放り出され、587名が死亡もしくは行方不明となる大惨事となった。

しかし、中には一命を取り留めた乗組員もいて、島民は救助にあたった。

小さな島だから、たくさんの人は住んでいない。50軒ほど。

島民は、身体が冷え切っている初めてみる外国人に自分の服を脱いで、その人たちを抱きしめて、体温で温めたりして、懸命の介護を行ない、69名の乗組員の命を救った。

紀伊大島は漁場の村。あまり食料がない。まして、わずか50軒ほどの島に69名もの人の食糧などあるはずがない。すぐに食料は底をついてしまった。

困った島民たちは、島難時の非常食として大切に飼っていた鶏を与えることにした。人の命には代えられないと最後の砦を外国人に食べさせ、命を繋いだ。

事件の翌日には、紀伊大島の代表が和歌山県知事に報告し、当時の明治天皇に連絡が入った。明治天皇はこの惨劇を悲しみ、日本政府をあげて救助に向かった。

ほとんどの方は亡くなったが、丁重に埋葬し、生き残った69名の乗組員を2つの日本の軍艦に乗せて、日本中から集まった義援金とともに、トルコまでに送り届けた。

紀伊大島の島民の手厚い勇気ある行動が、日本人の素晴しさを伝える歴史であるが、この物語はその程度では収まらない。



時は流れて、エルツゥールル号事件から95年後の1985年。

イランイラク戦争が勃発した。

イラクの当時の大統領であるサダム・フセインが、とんでもない声明を発表する。

「今から48時間後にイラン上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と全世界に向けて発信した。

民間機、軍事戦闘機関係なく全ての飛行機を撃ち落とす、とありえないことを言い出し、世界中がパニックなった。

この宣言を受けて世界各国は自国民救済に動き出す。イランにどんどん飛行機を飛ばして連れて帰る。

当然、日本人も仕事や旅行などでイランに滞在している。215名もの日本人が、まだイランに残っている。

タイムリミットの48時間まで刻一刻と時間は迫っている。

しかし案の定、日本政府は出遅れる。自衛隊の軍用機を飛ばせば済む話でも、憲法9条の問題で自衛隊は海外へ行けない。

困った日本政府は民間航空機に依頼。ところが自衛隊でも行けないような危険地帯に民間人が行けるわけがない、と政府とやりあっている間に時間は迫っていく。

残された日本人はパニックです。

「各国は救助隊が来ているのになぜ日本はまだなのか」

「この戦争に巻き込まれたらどうしよう」

「家族を残してこのまま死ぬのか、無念」

タイムリミットの48時間が迫る中、日本人たちは、イランのテヘラン空港で途方に暮れて諦めかけていた。

もうダメかと諦めかけたタイムリミットの1時間15分前に、あり得ないことが起こった。

空港に2機の飛行機が颯爽と降り立ち、全ての日本人を乗せて飛び立っていった。



この飛行機、どこの国だと思います?

日本の飛行機ではありません。

トルキッシュエアライン、トルコ空港の民間機でした。

なぜトルコが日本人を救ったのか。



元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏はこういう言葉を遺している。

「95年前のエルツゥールル号の事故に際し、紀伊大島の人たちや日本人がしてくださった献身的な救助活動を今もトルコ人たちは忘れていません。

トルコでは子供たちでさえ、エルツゥールル号のことを知っています。

それを知らないのは日本人だけです。」



偶然立ち寄ったトルコ記念館で、学校では習うことのなかった素晴らしい日本の歴史を学んだ。

旅に出ると五感が研ぎ澄まされる。太陽の光を浴び、汗を流し、人情に触れる経験を重ねれば、感性が豊かになる。

人間関係の達人 デール・カーネギーは
『人前ではいつもにっこりするよう心がけるだけでも、けっこう役に立つ。
微笑みかけられた相手が幸福になり、その幸福がブーメランのように、こちらへはね返ってくるからだ。

相手の気分がよくなれば、こちらの気分もよくなり、間もなく笑顔が本物になる。』

とコミュニケーションの極意を示している。

快適な自力旅を楽しむために必要なスキルだ。

与えたものはブーメランのようになって自分に返ってくる。

宇宙の法則は超シンプルなのだ。
疑えば、疑われる。
喜べば、喜ばれる。
与えれば、与えられる。
感謝すれば、感謝される。
笑顔で接すれば、笑顔が返ってくる。

しかも倍返しになって。

こんなことを思いながら、トルコ記念館からYHに戻る。
途中、太平洋の大海原が広がる公園で親子はまだキャッチボールを楽しんでいた。

そうだ、人生から返ってくる球は、いつか自分が投げた球なのだ。



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0600/1000「会社や肩書きに頼らず、自分という人間をしっかり持とう。」

より良い未来にたどり着くには、過去の延長では、うまくいかないものです。
今、大きな時代の変換期を迎えようとしています。
コロナが全てをひっくり返したのです。
だからこそ、変化が必要。
変わることが出来れば成長ができます。
もちろん、「変えてはいけない」ことと「変わらねばならない」こと
を踏まえて、変わらなければならないのです。
そのためには、これまでの生き方を見直すこと。
本当は「人に会う」「気になる場所へ行く」のがいいのだが、今はそれが出来ません。
だから、本を読みましょう。

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