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10年かけても起業が上手くいかなかった私が続いているきっかけ「絵本事件」

№8
こんにちは。
トリノメライフの立石悦子です。

100年先の子どもたちが生まれてきて良かった!といえる未来を作りたい。そんな想いに共感してくれる40代女性起業家専門にWEBと事務のサポートをお届けしています。

建築士という国家資格をもっているのに、どうしてWEBサポートや手帳を作ったり、夢に向かって進もうとするんですか?

この質問をよく受けます。そうですね。
夫婦で「構造設計一級建築士」という、今のところ日本において、建築士の中では最上位の資格を持っています。(あまり知られてませんが、一級建築士のさらに上の資格になるんです。)

確かに不思議かもしれません。設計だけやってれば食べていけるのに。
なんでわざわざ・・・?

でも私の中では人生レベルでみたとき、ごくごく当たり前の選択でした。今回はそのお話を。ちょっと長いですがお伝えしたいと思います。


がむしゃら過ぎた新入社員のころ。

学校を卒業後、設計事務所に就職して、最初はとにかくがむしゃらでした。

圧倒的な要領の悪さと理解力のなさ。そして、人とコミュニケーションがうまくとれない私は、仕事の面でもずっと失敗続き。

でも、ここで辞めたってどこに行ったって同じ。

そんな思いからとにかく必死で仕事に取り組みました。

定時なんて言葉はあってもないようなもの。21:00になると「あと3時間仕事できる!」という感覚でしたし、お盆も正月もなくて当たり前。会社で夜を明かすのもしばしばでした。

後で聞いた話ですが、実家の父がその私の働き方を見て、「社長は何を考えているんだ!」と、怒鳴り込みに行こうとしていたらしいです(笑)

でも、それは私が選んで自らやっていたこと。全くわからないことができるようになる喜びだったり、建物は残っていくものなので、そこに関わった誇りもありました。

それに、本当はそこまで無茶しなくたって良くて、もっと要領よくやれたはず。今ならわかるけど、当時はわからなかったんですよね。
(;・∀・)


わたし、、なんなんだろう。。。

そんな働き方が続かなくなったのが、子どもが生まれてから。
ありがたいことに、社長にも社員さんも良い人ばかりで、すごく配慮してもらってました。でもやっぱり、それまでみたいに無茶はできません。

長男の時はそれでもなんとかなりましたが、大きな変化が訪れたのが次男出産後、仕事に復帰した年でした。

担当になった仕事が思うように進まず、毎日のように終電まで残業して、休日も返上で出勤する日々が数ヶ月続いたんです。

3歳の長男。1歳の次男。

保育園のお迎えや、ご飯にお風呂に寝かしつけ。その他の家事一切を、実家の母と夫に頼み、私は、みんなが寝静まった真っ暗な部屋に帰る日々。

母親として、妻として、家庭をほったらかして仕事をしている。

かと言って、じゅうぶんな結果が出せているかというと、そんなわけでもない。

「私って、なんなんだろう、、、、」

駅から自宅までの暗い道をトボトボと歩いて帰っていました。

また、読んでもらえなかったなあ・・・


そんな生活が数ヶ月続いたある日。いつものようにみんなが寝静まって真っ暗になった部屋に帰った私がみたもの。

それは、真っ暗な部屋の布団の中で、絵本を抱えて眠る3歳の長男の姿でした。

※イメージ

息子たちが通っていた保育園では、

働いていてどんなに忙しくても、せめて週に1回は、お子さんと絵本を読む時間をつくってあげてください。

と、絵本の貸し出しをしていました。その絵本です。

「きょうね~、これ、おかあさんに読んでもらうの~♪」

ニコニコと先生に話しながら選んだそうです。

「きょうはおかあさん、帰ってくるかなあ♫」

ワクワクしながら布団の中でまってくれていたそうです。

※イメージ

待ちくたびれて寝てしまい、結局読まずに返した絵本。1度や2度じゃありませんでした。なんどもなんども、何度も、なんども。

翌朝、長男を起こしに部屋に行くと、部屋のすみっこで、こちらに背を向けてうつむいている長男が。手にはあの絵本。

「また、、、、読んでもらえなかったなぁ・・・・・」

決して私に対して文句をいうわけでもなく、誰に対して怒るでもなく。
ぼそっとつぶやいた声。

なにかを悟ってあきらめてしまってる。

たった3歳で受け止めようとしている、小さな小さな後ろ姿が、私の心に突き刺さりました。

本当に望んでいたこと

「私は何をやってるんだろう?」

女性だからこそ、一人でも生きていける力を、手に職をつけなくては!
その言葉を軸に突っ走ってきたけれど、

私は。本当は。

仕事よりも、キャリアよりも、子どもとの時間を、心を最優先する生き方をしたかったんだ。

そんな本音に気付いたのがこの時です。

子どもが母親に甘えてくれる時期なんて、一生のうちにほんの一瞬。しかも、そこを逃すと二度と戻ってこない、一回限りの時間です。

このままだと、子どもが思春期を迎えた時言われると思ったんですよね。

「どうせお母さんは俺らよりも仕事が大事なんだろ!」

絶対にそんなことはないけど、こんな生活のままじゃ説得力がないな・・って。

言葉でなんて、なんとでも言える。行動がすべて。

私が最近よく言われる言葉ですが、本当にそう思います。私はこの時に初めて、

今の生き方を続けたら、どんな未来が待っているのか?

という視点で、真剣に時間をとらえました。そして、自分が死を迎えるその瞬間に、

「ああ、あの時もっとこうすればよかった、ああすれば良かった」
「あの時ならまだできたのに、、、」
「だってあの時は会社が、、、あの時は仕事が、、、」

なんて、グチグチと言い訳や後悔をすることは絶対に絶対にしたくない。自分の人生の責任を、誰かになすりつけることだけは絶対にしたくない。

「今ならまだ、なんとかできる。」
「望んだ未来になるように、生き方も働き方も絶対に変えよう!」

そう決意した私は、資格を取ったり、ネットビジネスを学んだりと、これまでとは全く違った世界に足を踏み入れました。

ちょうど、「ママ起業」や「プチ起業」「ネットビジネス」という言葉が流行っていた頃。

教材や資格、コンサルはたくさんあったので、それに飛びつきさえすればなんとかなる!と、甘い考えだった私ですが。実際は全くそんなことがなくて(;・∀・)

そこからなんと10年も試行錯誤し続けたのでした、、、、

10年あきらめなかった理由

「しぶといな」(笑)我ながら思います。

このしぶとさの理由ってなんだろう?と考えてみたんですが、、、私、子供の頃から33歳まで教会に通っていたんですね。

「人間は心と体を神様から借りて、この世に来ているんです。」

「亡くなったら神様の前に立って、どんな行いをしてきたか、神様に報告する時が必ずくるんですよ。」

「だからその時に、私は神様から借りた心と体で、このような人生を送ってきました。ありがとうございます!と、胸を張って言えるよう、恥ずかしくない生き方をしなさい。」

物心ついたときから、ずっと聞いてきたこの教えが、私が何があってもあきらめなかった原点かなと思います。

(もちろん、宗教観は人それぞれなので、そこはご了承くださいね)

その結果、私はWEBに関することや、事務作業の面で、起業女性の力になれる、という強みが見つかりました。

そして、10年という長い月日の先に、本気で人の人生と向き合い、一緒に磨きあう仲間に出会い、人生をかけて叶えたい夢が見つかりました。

ここでご縁ができたあなたの夢も、仲間として一緒に叶えていけたらこんなにうれしいことはありません(^^)
WEB周りや事務作業のサポートに興味があるかたは、ぜひ一度お話を聞かせてくださいね。


トリノメライフ
立石悦子

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