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怖いという事

今晩は。今日は詳しいことはいえないんですが、ちょっと変わった日で、私は自分の中にある、"怖い"という事をちょっと書いてみたくなったのです。

まず、私はフィクション、ノンフィクションを問わず、大のホラー好きです。

というのも、大の怖がりの裏返しだと思ってます。
暗がりが怖くて、プラネタリウムも入れない子供でした。近所の廃屋にはマムシがいるから近づくな、と言われて本気で怖がってましたし、小さい時は怖いものが沢山ありました。

死ぬのも怖けりゃ生きるのも怖い、これはある意味今も同じかもしれません。ただ、大人の知恵がひっついて、肝が座っただけで、大差ないと思ってます。

でも私、怖いの好きなんですね。
ゾクゾクとしながらもどこか美しさを孕む古典系の怪談から、スプラッタからジャパニーズホラー、民俗学系、実話系、スティーブンキング、ごった混ぜです。

全部、ちゃんと怖いんですけれど…好きなのです。
旦那にはよくそんな怖いもの見れるね、と言われながら寝っ転がってホラー見ます。
なるほど、怖いは万人に向けたエンターテイメントではないようです。

何が好きなのかなぁ、と思うのですが、一つはこの世にありえないものの理屈や法則を考えるのが好きなんですね。

なんで、こうなるのか?

突き詰めると、私は怖いと思いながら、何を怖がってるのか恐怖感をいじくり回すのが好きなのですね。

多分、単純に怖がりなので本気で怖くなる前に考えるんです。恐怖感に振り切らないように。

1番のビビリは他でもない私なんですね。

なので、見えないものにも理屈っぽく迫る癖があります。知りたい。知れば怖くないかも、みたいな。

でも、こんなにもホラーが好きな私でも、現実にありえないホラーが起きるとパニックに陥ります。
まだ、どこか私にはありえんことなど起こらんのだ!とたかを括っていた頃には、それはそれはおろおろしました。生まれて初めての不自然なラップ音、ありえない落ち方をするもの達、見えないはずの人影。見間違いかと思いきや、それにぶつかった娘がいきなり泣き喚いて発熱する。一体何が起きたの!?です。

たいそう取り乱した私は普段忘れてる神に祈り、換気や掃除が良いと聞けば2月の真冬に毎日換気して雑巾掛けする始末。災害等でパニックになって人を笑えませんね。神仏には足繁く通い、常にそれと決別する事を一日中考えてるのです。

それがどんな現象で何が起きたとか、本当はどーでも良いのです。肝心なのは、一日中、考えまくってるその、不健康な状態。そんな緊張状態は永遠には続けられないのです。

まぁ、それはさまざまな人の協力をへて、終わりました。それなりにセレモニーめいた事もしました。
そして、それは少しずつ、わたしの周りから消えていきました。

まぁ、消えてないものもあるんですが、私は、それはどーでもいいことにしました。

というのも、過度な緊張状態なんて維持し続けらんないからです。ものすごく怖がり続けることなんぞ、出来ないんですよ。精神が疲れてしまいます。

そもそも、相手は次元が違うんだから、悩むだけ無駄。それだったら日々、目の前の愛しいものを大事にした方がいいな…

などと思った割に私は今も怖い話、好きなんですよね。
恐怖ってこうかなー、あーかなーって未だ頭の中でねりねりしてます。

ただ、決定的に違うのは、怖い事をこちらに持ってこない、というただ一つのルールが自分の中で徹底されてる事。

全て知ることが無くてもいい。対処できない事もあるかも知れない。怖いの好きだから楽しむ事もある。

でも、私はここにいて、ここで生きてる。という感覚だけは誰にも譲らない。

なんていうか、自分にとっての、怖いと付き合う一つの肝だと思ってます。
怖くても、不安になっても、揺れてもOK。人間だもの。

でも、その後で、ご飯やおやつが美味しくて、インコの羽に鼻先を埋めたら、幸せになれる自分にはかえっておくようにしています。

それも、やり方は人それぞれなんだろうと思います。
要は自分一人、きちんと落ち着かせてあげる術が自分に有ればいいのです。

今日、ふとそんな事を思いました。
ではでは、おやすみなさい。

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