ねこぼーろさん『ストラテリウム』の歌詞について

 正直、この曲について私があれこれと感想を言っていいのかどうか、まだ自信がもてません。この曲は、初音ミクさん10周年の翌日、まだ私を含めたミクさんファンがお祭り気分でいる頃ひっそりと投稿されました。私はそのままこの曲の動画を再生し、そこで静かな衝撃を受けることになります。
 とても個人的な音楽。もういなくなってしまった「あの人」への感情。私はこの曲が好きです。歌詞が特に好きです。でもそれを言ってしまっていいのかどうか。この曲はおそらくは作者本人の個人的な思いによって作られています。それを私が分かった気になっていいのだろうか? 私は他人の悲しみを、エンタメとして消費して「感動した」「悲しい」と思っているだけなのでは? 
 これらの疑問は、今でもあります。しかし『ストラテリウム』の歌詞について語りたいという欲求は歳月を増すたびに大きくなり、結局今私はnoteを書いています。
 前置きが長くなりましたが、『ストラテリウム』の歌詞について語っていこうと思います。

『気が付いたらさ 君はなんでさ 雲の上で泣いてるの ねえ』

いきなり一番のサビ前までとばしましたが、この歌詞によって君が亡くなったということをあらわしつつ、君がいま悲しい、孤独な気持ちでいるであろうこと、そして主人公が後悔していることが伝わってきます。

『破裂した感情が心臓を引き裂いて粉々になっちゃって
くらくら眩んだ目も泣いちゃって 光忘れてしまう』

サビです。どことなくn-bunaさんのメリューを彷彿をさせる歌詞ですが、共通しているのはどちらの曲もレクイエムだということです。

『ふわふわ 泳いでった そらのさかなと君 らんたった きらきら 踊っていた 陽だまりの中で らんたった』

そらのさかなとはあの人の曲のことですが、『ふわふわ 泳いでった そらのさかなと君 らんたった』という歌詞で再び君が亡くなったことを強調しつつ、そらのさかながいるから君は孤独じゃないよね、そうあってほしいという祈りを感じます。続く『きらきら 踊っていた 陽だまりの中で らんたった』という歌詞からは、一番のサビ前とは違い、穏やかな眠りを連想させます。よく全ての物語は祈りである、などと言いますが少なくともこの曲からは(この言葉を使うのが正解かは分かりませんが)美しい祈りを感じます。

『ふざけんな みたいな言葉すら 出ないような恋だった 不確かすぎたそれは恋だった』

個人的な解釈なのですが、ここの歌詞が愛ではなく恋なのは主人公の恋が愛に変わる前に相手が亡くなってしまったからなのだと思います(私はサイハテについても似たような解釈をしています)。

この曲に対しては、私は感情を持ちすぎて言葉にできない部分が多く、かけ足での感想になってしまいました。もしも誰かがここまで読んでくださったなら、とても嬉しいです。ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?