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人付き合いが苦手と今更気づいた話

今戻れるなら、小学生に戻りたい。
ここまでくるのに、受験とか色々大変なことはあったけれど、それをもう一回経験してもいいから、
小学生からやり直したい。

多分ここで友人作りがうまくできなかったから、
万年ぼっちの私ができたのだ。

鈍かったのは低学年まで。
色々人の関係を気にするようになり、カースト上位と浮かれていた高学年から歯車が狂っていった。
といっても印象深く覚えているのは6年生の時のことである。

6年生の修学旅行、
前期に行われた席替えで仲の良かった子達と固まったため、
修学旅行の班も一緒にしようと話していたのに、
私の代わりに別の子が誘われて、
私は結局他の人たちと組むしかなかった。
親に子供だけで遠くに出かけるのを止められていたからということもあるかもしれないが、
卒業ディズニーや卒業旅行に誘われることもなかった。

小学生の頃の人たちとは疎遠になっている。
当時LINEもしていなかったし、
メールも親とだけだったため、
連絡先も交換しなかった。

そして受験して入った中学校。
小学生の時に入っていたグループの子達と比べると、価値観もあっているし、
地元の中学に進学して、無理してあの子たちとつるんでいたりしなくて良かったと思った。
(負け惜しみ。)
中1は初めましての子が多いため、
グループなどもなく、
クラスでそれなりに仲のいい子ができて楽しかった。

中2になった時に環境は一変した。
仲の良かった子たちと離れ離れになり、
番号順の席が近くて最初に話した人たちと修学旅行の班を組んだのだが、
修学旅行中に何がきっかけかはわからないが、
無視されるようになり、
それ以降、居場所がなくなった。
その人たちとお昼も食べていたため、
その出来事のあとは一緒に食べることもなくなり、
他はすでに固まって食べていたので入れず、
ぼっち飯を経験した。
部活でも、あまり馴染めず、浮いていたため、
どこにも居場所がなく、休むことも考えたが、
両親に知られたくないので通い続けた。
(中高6年皆勤賞です。。。)
部活で浮いたのは、陰キャの私が、
陽キャの塊の人が入るところに入ってしまったためである。(ここで陰キャであると自覚する。)
思い返せばLINEのある絵文字に似ていると言われ、影ではそれで呼ばれていた。
そんなこんなで1年が経ち、中3になった。

中3は、仲が良かった子と離れ離れになった人同士で
「ぼっちなんだけど〜」「私も〜(泣)」
と言った感じで集まって、修学旅行もそのメンバーで班を組み、お昼もそのメンツで食べられたので、楽しかった。
部活でも、色々あって、雨が降って地が固まり、
クラスに同じ部活の人がいない者同士だったりで
話すようになって、それなりに楽しかったが、
私が部活動から離れている中2の間にグループができていた。
(帰りなどは中1の時の友達と帰っていた。)

そんなこんなで晴れて高1になった。
クラスは中3の時に仲が良かった子たちと、
離れ離れになって、再びぼっちを極めた(ぼっち飯)。
部活では、
中3の時に話した仲のいい子がいたため、
浮くことはないと思っていたが、
彼女は中2の時にできたグループの子や、
中1の時によく話していた同輩と遊ぶことが多く、
結局2人で出かけたりもせず、
話すのは登下校の時などだけだった。
私が「遊ぼう」と誘えない性格だったのもあるだろう。

高1で1番の恐怖だったのは、
高2の修学旅行の行動班決めである。
クラス毎であれば、ぼっちを極めていたが、
まだ入らせてくれるところがあるだろうし、
ある程度範囲が絞られているため、
クラス外に友人がいる人と組むことができただろう。
しかし、我が校は、この修学旅行の行動班だけは、学年で自由に好きな人数で(確か3,4〜8人で)
組んでください。という風になっていた。
ホームルームを使って体育館で
「はい。組になってください。」
という感じで組むので、あらかじめ誰と組むと
決めておかないと、ぼっちであることが目に見えてわかってしまうという恐怖の時間であった。
暗黙の了解で、みんなで連絡を取り合うのである。
みんなは「自由なの楽しみー」と言った感じであったが、私は「やめてほしい」と先生に嘆願しようかと考えるほど、組む相手がいなかった。
誰からも声がかからなし、
大体クラスの枠組みが外れると、
部活の同輩同士でといった人が多い中、
私の部活は、
中2の時にできたあるグループはそこで固まり、
それ以外は他に仲のいい人たちと組むと予想がついたため(実際にそうだった)
私は部活動のグループで「組もう?」
ということもできず、
ただただ、どうしようと悩んでいた。
結局勇気を出して、中1の時に仲の良かった子に連絡をとった。
「部活の子と組むのかと思った〜」と言われたが、「中1で同じクラスだった子たちと組むからいいよー」と言ってくれた。
私も仲が良かった子もいて、勇気を出して声をかけて良かったと思った。

高2は部活が引退の年に入って、少し大変だったが、
クラスは中3の時に仲が良かった子たちと一緒だったため、楽しかったし、部活で色々ある子も多く、
「このクラス居心地いいよね」となるくらい、
いいクラスだった。
高3も同じクラスだったため、
クラスとしての団結力は多少低かったが、
素敵なクラスで2年間いられてよかったと思う。

大学入学の時に、大学デビューを誓ったが、
最初に喋った陽キャの子達とは合わず、
再びぼっちを極めている。
大学はぼっちでも過ごしやすいので、
中高ほどあまり苦労しないが、
学科の授業はぼっちなのが丸わかりなのであまり好きではない。
中高の友人とも積極的に会うこともなく、
少し疎遠になりつつある。
進学先を知らない人も多い。

大学入試が落ち着いたとき、
小学校の時の同級生から連絡が来た。
当時はそこまで親しくなかったが、
お互い中学受験をしたこともあり、駅で会ったりした時に少し話していた。
驚いたと同時に、とても嬉しかった。

ここまで振り返ってみて思うのは、
私が誰かの1番になりたいと思ってしまっているからこの状況になっているのだなーということである。
私が仲がいいと思っている人は、いわゆる誰とでも仲良くできる人であって、人から誘われる人である。
だから、私がその子を誘えばいいのだが、
受け身の私はそれができず
(プランを立てて楽しくなかったらどうしよう、
そもそも遊んでこなかったから場所とかも知らないし、などと考えてしまう)
結局いつまで経ってもぼっちなのだということである。
声をかけても最後まで決まらず流れてしまうことが多い。
だから、ぼっちであってもできるヲタクに依存し、
大学生になってから大学の人たちと遊んだことはない。
でも、LIVEに一緒に参戦できる友人が見つかったのは、嬉しいことだ。
中学の途中でヲタクになり、高校で初参戦だったので、周りは参戦するグループがすでに固定していたため、ぼっち参戦していた。

グループとかそういうのを考えてしまっている、
私が幼いし、自分が逃げているのだとわかっている。
大学を卒業するまでにもう少し人と関わることをしていこうと思う。
これからもっと遊ぼう?〇〇行かない?と声をかけて行きたいなと思う。
誰かとやりたいことはたくさんある。
でもこうして休み期間でも家にこもってしまっている。

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