テニミュシリーズにおける二重写し構造と特色について

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※サーステのリリイベが楽しすぎたので下書きにしていたものを加筆修正して公開しています。

※原作そのものの面白さやテニミュ各公演の歌詞や表現が適切かなどは全く考慮に入れていません。
というか、そういったこととは全く別のお話です。

※途中の余談でまほステの話もしています。テニミュにも関係がある(と私は思っている)ので許してください。

※二重写しについては今までも多くの先輩テニモン方が散々触れてきたことだろうし何を今更って感じだとは思いますが、これは私(3rd新規テニモン)自身の脳内整理のために書いたものです。その辺もご了承ください。
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サーステが楽しすぎた!
普段のテニミュ観劇の楽しさとはまた違った、観るアトラクションとも言うべき没入感で、本当にU-17 WORLD CUPの観客になっていた。
(例の如くとてつもない速さでストーリーが進むのですごい勢いで多くの名シーンがカットされたのは切なかったし、適切かどうか疑問に思うこともあったが…。まあそれはサーステに限った話ではないので…。)

サーステの何がツボに入ったんだろうか、
というかそもそも、テニミュって何でこんなに楽しいんだっけ、ということを改めて自分の中で言語化したくて、この記事を書いてみることにした。

結果、テニミュの二重写し構造が美しくて楽しいからというのが私にとって一番の理由だろうという結論に至った。

せっかくなので私の脳内整理過程の記録も兼ねて、サーステまでのテニミュ各公演でどのような二重写しが意図されてきたのか、そして各公演の特色などを改めてまとめてみようと思う。

無印テニミュ

前提として、この記事における無印テニミュとは1st〜3rdシーズンのことを指すこととする。
(4thシーズンから制作スタッフ陣が大きく入れ替わった上にまだシーズンが完結しておらず、システムや特色を結論付けるには早く、情報も不十分であるため。)

二重写し構造

無印テニミュの二重写し

無印テニミュにおける二重写し構造の美しさは、シンプルに、キャラクターとキャストが重なって見えることにある。

テニスが強くなりたいと願いテニスに青春を捧げて成長するまっさらな中学生キャラクターたちの姿と、テニミュで俳優人生における良いスタートダッシュを切りたいとテニミュに青春を捧げ成長する新人俳優たちの姿がシンクロするのである。

特性

従来のテニミュの特性として以下の項目が挙げられる。

⒈ 独自の文化がある 
 
2024年現在で20年の歴史があるテニミュには、様々な独特の文化が築かれている。
 具体的に言うと、キャストはいわゆるテニミュ力と呼ばれる、ベンチワーク、ラケット回しやテニスフォーム、ラケットを持たない方の手指の美しさやファンブックの内容を前提とした細かな日替わり、さらに細かいところで言えばスパッツの長さやジャージの腕を捲るかなどの衣装の着方にまでも細かいこだわりを求められるという文化である。
 これには理由がある。無印テニミュにおけるキャストは新人俳優が多く、完成されている役者は一人もいないからだ。歌やダンスなどの技術面で足りない部分をテニミュ力という熱量で補っているのである。
 時にテニミュは新人俳優の育成施設のような扱いを受けることがあり、他の2.5次元作品と比較するとチケット料金も格安に設定されている。しかしそれは、他に比べてテニミュが劣っているということを意味しない。私は、キャストらの未完成ながらも150%の熱量でテニミュに取り組む姿や、演じるというよりもそのまま生きている姿に価値を見出している。 
 一方でこのテニミュ力は、キャストたちにほとんどテニミュでしか使わない知識や努力を求めることとなり、テニミュをある種閉鎖的な世界にしている側面もあると言える。
 他にも、成人式や豆まきやクリスマスやバレンタインなどの年中行事を行うことも、一年あたりの公演数が多いテニミュ独特の文化の一つであると言える。

⒉ キャストがチームメイトとの仲を深める
 
次に挙げられる特性は、OBが卒業後に「テニミュで一生ものの仲間に出会った」と話題にするような仲間たちとの友情である。
 友情を深められるのは何もテニミュに限らないだろう、と思われるかもしれない。その通りである。しかしテニミュにおける友情の築き方は、公私共に相手に深く干渉するものであるという点で特異なのである。
 本来俳優は個人で活動するものだが、テニミュでは基本的にチーム単位で行動する。チーム内で仲間の演じ方や原作解釈、さらに仲間が演じるキャラクターの解釈にまで干渉し、時にはチーム内で解釈違いを起こし、泣きながら喧嘩しながらも自キャラや自チームへの解釈を深める……というのはオタクがよく聞く話だ。(他にも、他校チームの楽屋へ行く時は、学生時代に隣のクラスへ訪れた時のような、「◯◯くんいますか…?」のような緊張感があるとも聞く。)
 このようにテニミュキャストたちはチーム単位での生活を通して、チームメイトたちと自他の境界線が非常に曖昧な、まさに学生のような近しい関係を築き、卒業する頃には自分の役だけでなく、自分のチーム(学校=母校)に対しても愛を深めるようになるのである。

⒊ 団体行動と連帯責任システム
 次に挙げる特性は、先述したチーム単位での行動とそれに伴う規則、つまり部活のような徹底された団体行動と連帯責任システムである。
 これも、具体例の枚挙にいとまがない。
 青学9代目まで存在していたテニミュ合宿がその最たる例であろう。テニミュの長期間公演に耐えうる体力をつけ、メンタルを鍛えるための合宿という、あまりにも新テニのような世界観の合宿だ。(OBたち曰く、合宿は精神的な修行に近く、ひたすらキツいトレーニングを繰り返しチームメイトと苦しみを共有することで「みんなでひとつになりましょう」というためのものらしい。)
 他にも通常の稽古期間には、遅刻や忘れ物はチーム全体の連帯責任となる。チーム内の誰かが台本を忘れようものなら、罰としてチーム全員でスリークッションスクワット1,000回などの追加トレーニングやトイレ掃除を行わなければならない。
 何かをできない人がいたら全員でやらされてしまうから、稽古後にできるようになるまで居残り練習に付き合ったり、予め夜中に集まって練習したり、稽古以外でも一緒にダンスレッスンやボイトレに行く。部長役キャストは本当の部長のようにチームをまとめることを求められ、副部長役キャストは本当の副部長のように部長役キャストのサポートをすることを求められる。
 このようにしてテニミュキャストは団体行動と連帯責任シムテムを叩き込まれるのである。

⒋  排出OBの多さと出身校としてのテニミュ 
 最後に挙げるのは排出OBの人数の多さである。(※2024年現在、約400人)
 近頃は、情報解禁された舞台に少なくとも誰か1人、時には半数近くもテニミュOBがいることがある。そしてこうなってくると、一般にはテニミュは2.5次元舞台の一ジャンルというよりも俳優育成施設の一つとしての意味合いで話題にされることが多くなる。
 「あなたにとってテニミュとは?」と問われた時に「出身校」と答えるOBも少なくない。彼らはテニミュを「もう一回学校に行ったみたいな感じだった」と話し、先輩や後輩はたとえ同じ役を演じた者同士ではなくても、同じチーム(学校)出身ではなくても、テニミュ出身同士であるというだけでどこか繋がっているような仲間意識があると語る。
 テニミュを出るということは多くの先輩・同期・後輩との繋がりを持てることを意味するのである。

(テニミュ好きなら分かってもらえると思うが、個人的には、テニミュ卒業=ここからが芸能活動本番、みたいな感覚がある。もちろんテニミュは既に芸能界なんだけど、やっぱり卒業するまではひよっこみたいな……
だから、テニミュを卒業することをスタートラインを切ると表現したくなるのだと思う。)

まとめ

無印テニミュは、対戦校(ライバルたち)としのぎを削りながら、チームメイトとの友情を深めてゆく作品である、と言える。

余談

テニミュの卒業といえばの余談だが、テニモンには青学がキラキラし出したら卒業がよぎる感覚があると思う。
これは、卒業というのが二重写しが完全に重なるタイミングだからなのではないだろうか。

卒業ソングは各代に当て書きされているもので、どれもその代の個性が反映された楽曲であるのに、最後に真っ白な卒業衣装に身を包んで卒業ソングを歌う彼らは、まさしく原作から飛び出てきた青学に見える。

最初はバラバラだった青学キャストたちが原作やアニメの青学と重なって見えるあの瞬間は、とても美しく感慨深いものであると同時に、最も彼らの「卒業」を感じて切なくなるものでもある。

歴代の青学卒業ソング


ファーステ/セカステ

二重写し構造

ファーステ/セカステの二重写し
(中学生たちは、無印の頃のような学校というチーム単位ではなく、ひとまとめの中学選抜として扱われ、同士討ちなどで”個々の力”を問われることとなる。)

ファーステ/セカステにおける二重写し構造の美しさは、レボライで上島先生が触れられていたように、芸能界のピラミッド構造との重ね合わせにある。

先述したように、中学生キャストの多くは演技の経験が殆どないような新人俳優が占めている。
そこで、トップに位置するコーチに大御所俳優を、中間に位置するU-17選抜に中学生キャストほど若手ではないが大御所とまではいかない中堅俳優を起用することで、原作のピラミッド構造を補強し、観客が視覚的・感覚的に得られる説得力を増しているのである。

特性

新テニミュになったからといって、無印テニミュの特性で記述したものが全くなくなったわけではない。
しかしここでは分かりやすい比較のために、従来の特色にプラスしてファーステ/サーステの特性として特筆できる点のみを挙げようと思う。

⒈ 選手としてOBキャストを取り入れている
 
以前の記事でも触れたことがあるが、新テニミュはOBを選手としてキャスティングしていることにおいて無印シリーズとは一線を画す。
 さらに新テニ初期の時点において、他の高校生たちよりも一歩近い目線で中学生たちを見守る重要キャラクターにOBキャストを起用し、二重写しに輪をかける意味を持たせていることも大きい。

・高校生選抜の中で二軍の底上げをし中学生を見守る入江(と鬼)

・座組の底上げをし中学生キャストを見守る相葉さん(と岡本さん)

・ちょっと前は血気盛んだったが今はリョーマを弟のように気に掛ける徳川

・現役時には稽古をサボったりしていたという問題児だったが、今は後輩たち中学生キャストを気に掛けている小野さん

⒉ 無印よりも実社会としてのリアリティがある
 次に挙げるのは、先述した芸能界のピラミッド構造との重ね合わせによって、無印シリーズよりも実社会としてのリアリティが増した人間関係の描写である。
(※もちろん実際のファーステ/サーステの現場は原作のように殺伐としていない。コーチやU-17キャストは、芸達者なだけでなく若手キャストを温かく見守り、さらにはテニミュ自体のことも大切にしてくださる素晴らしい方ばかりである。)

ファーステ/セカステにおける人間関係

ピラミッドの上に行きたければ勝ち続けるしかない。原作世界でも芸能界でも同じことだ。

U-17合宿の世界では、中学生だからという言い訳も、体格差があるからという言い訳も通用しない。
上位コートに上がりたければ、代表メンバーとして選ばれたいのならば、年齢や歴や経験や体格で不利だったとしても、その格上の選手たちと対等に渡り合う必要がある。

ファーステ/セカステでもそうだ。出演する新人キャストたちは、たとえ歴や経験が他の先輩キャストに劣っていたとしても、同じプロとして最低限の、一定のクオリティを求められている。

(新テニミュのチケット代は無印テニミュと比較した場合に高価なため、そして新テニミュは原作の時系列的に”無印時代の後”であるため、無印よりも新人俳優に対してのハードルを高く設定している観客も多いのではないだろうか。少なくとも私はそうだ。)

そしてこれは何も新テニミュに限った話ではない。 
実際彼らがテニミュを卒業した後に出る舞台の多くがそうであろう。
当たり前に年齢も芸歴もバラバラで、しかし一度その中に入れば、初公演だからとか芸歴が短いとかは言い訳にならない。
稽古も、チームでの団体行動よりも、まずは自分一人で客前に出せるレベルへ持っていくことを求められる。

例えテニミュOBが多くいる現場でもそうであろう。先輩がいるからとて全ての面倒をみてもらえるわけではない上に、同じプロとして芸達者なOBたちとも対等な存在であることを望まれるのだ。

(おまけ)
以前、松田さん(ネルケ創業者)か上島先生だったか……が、
「生き残るには顔だけじゃダメ」「”顔が良い”だけでチヤホヤされるのは最初の数年だけで、ずっと最前線で活躍するような子は、やっぱり(ビジュアルの)他にも選ばれる要素がある」
というようなことを話されていた。
第一線で活躍するOBもいれば引退するOBもいて、歳を重なれば重ねるほどピラミッドに残り続けることは難しくなる。椅子の数は決まっているのだから仕方がないのだけれど、厳しい世界だ……と切なく思う。

まとめ

ファーステ/セカステは、原作と芸能界のピラミッドを重ね合わせ、 テニミュの二重写しの妙を詰め込んだ作品である、と言える。

余談

少し話は逸れる上に、ここからはより一層私の勝手な妄想なのだが……

3rd以前と新テニミュ以外での大きな違いは、現役の青学キャスト(しかも座長のリョーマ役キャスト!)がテニミュ外の舞台作品に出演したことであると思う。

(ファーステ→4不動峰→まほステ2章→セカステ→まほステ3章→4ルド吹→レボライ……という怒涛のローテーションをぺろっとこなした座長(当時17歳、現役高校生)の偉大さは言うまでもない。
本当にまぴが当代リョーマで良かったよ。リョーマに選ばれてくれてありがとうございます;;)

いくらまほステがテニミュと同じくネルケ制作であるとはいえ、テニミュ外の作品に現役のうちから参加させるなんて何の意味があるのだろう……テニスだけに集中させてほしいな……というのが当時の私の正直な感想であった。

しかし今一度考えてみると、座長が現役のうちから外部の舞台、それも制作陣やキャストにテニミュ関係者が多く存在するまほステに出演したことで、テニミュも大きな恩恵を受けられたのではないか。

つまり、中学生の中でも先陣を切ってピラミッドの上位へと挑み張り合おうとするリョーマを演じる役者が、本物のピラミッド構造の2.5次元舞台で多くの先輩役者たちと対等に張り合うことを求められるという経験を得てからセカステ以降の舞台に臨めた、のは大きいのではないかということである。

まほステとテニミュ 

(あのキャスティングには、セカステの前までに、今牧くんに、先述したテニミュを卒業した後の世界を実際に体験させるという意図があった。
そう仮定すると、彼が演じるミチルとリョーマに共通点が多いのも、偶然ではない気がしてくる……。)

ミチルとリョーマの共通点

現役リョーマキャストをまほステに出演させることの利点は他にもある。
まほステにはテニミュ OBが多い。それも、1st〜3rdまでと幅広く、出身校も青学・不動峰・山吹・氷帝・立海・比嘉と多種多様だ。
これがどんな意味を持つかというと、今のテニミュを引っ張る立場にあった座長は、外部舞台で活躍OBたちを間近で見て、20年近く(今牧くんとテニミュは同い年生まれ)にわたる”テニミュの歴史”をさらに身近なものに感じたはずであるのだ。

(※もちろん先述したように新テニミュにもOBたちがいるのでそれだけでも過去シーズンは身近に感じられるだろうが、しかしやはり彼らはOBであると同時に現役キャストでもあるため、外部舞台で活躍する全くのOBとはまた違う立場であると考える。)

これは過去に今牧くん本人が語っていたことであるが、彼はコロナ禍にキャスティングされたため生でテニミュを観劇した経験がなく、テニプリという作品自体への認識も「名前は目にしたことがある」程度だった。3rd以前のテニミュの特色であった歓声や客降りも、彼は体験したことがなかった。(これはサービスナンバー『ディスタンス』からも思い出せる。)
彼は当初、テニミュの記憶が一切ない、まっさらな越前リョーマであった

さらには、彼の初公演は新テニミュであり、無印を終えたリョーマからスタートしているという点においても歴代リョーマに類を見ない。(サーステの名曲『俺の場所』から引用して言えば、”逆回転した俺のテニスの歴史”なのである。)

ここで一旦まほステのテニミュOB側の話をする。
彼らは、今牧くんをとても可愛がってくれた。
彼の演じるミチルというキャラクターが魔法使いたちの中で最年少の弟ポジションであるということ、今牧くん本人がまほステカンパニーで最年少であったこと、現在のテニミュでリョーマを演じていること……考えられる理由は複数あるが、いずれにせよ「みんなで4th観に行くか!」という話が出たほど、OBたちは今牧くんを気にかけてくれていたようだ。
(そして実際にほとんどのキャストが4thを観劇に来てくれた。)

彼が過去の公演の円盤を見た時に、汗を流し時には涙を流してテニミュに取り組むキャストが、自分を可愛がってくれた身近な人であったなら。
自然と、その人たちが大切にしていたものを自分も大切にしたいと思うようになるのではないだろうか。

今牧くんは、これまでの座長挨拶で何度も「これまでのテニミュの歴史」への敬意や「これからのテニミュ」への希望を口にしてきた。振り向けば過去から現在へと繋がる道が、そして前を向けば現在から未来へと繋がる道が、目指すべき方向が、彼にははっきりと分かっているからである。
それは、OBたちとの交流が彼に良い影響を与えてくれたからこその、実感のこもった言葉だったと私には思えるのだ。


さて、現役リョーマキャストをまほステに出演させることの利点はまだ他にもある。それは、OBたちに初心を思い出させるということだ。

”誰もが王子様である”という自尊心、
”天衣無縫(楽しむ)”という姿勢、
”油断せずに行こう””まだまだだね”と思う謙虚さ……

”歳の差など関係ない”、”経験値は当てにすべきではない”、”過去は過去であることを忘れるな”……

そういった、現役時代にテニスの王子様から学んだはずの基礎を今一度思い出させて、兜の緒を締めさせるような…彼らに発破をかけてギアを上げさせるような…、そんな相乗効果を狙う意図もあったのではないだろうか。


実際にまほステ2章の稽古期間中、OBキャストの一人である神永くんは、今牧くんとのツーショに「この坊や(※ボウヤは幸村くんがリョーマを呼ぶ時の呼び方)に『まだまだだね』と言われないように頑張る」という言葉を添えてツイートをした。彼は今牧くんを通じて原点であるテニミュを思い出し、気を引き締め直したのである。

幸村役であった神永くんにとって因縁深いリョーマ役で、さらにはテニミュ現役当時の自分や小越くんと同じく高校生だった今牧くんに、神永くんは何を感じたのか……一幸村オタクとしては気になるところだ。

(※神永くんは、家でたまたま見ていたテレビで小越リョーマを見て「同い年が頑張っている」と刺激を受けたことがきっかけで芸能界に入り、なんとその2年後には小越リョーマの最後の対戦相手であり無印テニミュのラスボスにあたる幸村精市を演じることになった。
そういった経緯も含め、彼は「テニミュは自分にとって運命的な出会いをした作品だった」と語り、「これからもテニミュを、立海を、幸村を愛してゆく」と宣言している。)

以上、随分と長々書いてしまったが、つまり私が言いたかったのは、

  1. ピラミッドの上位へと挑み張り合おうとするリョーマを演じる役者に、本物のピラミッド構造の2.5次元舞台の経験を積ませる

  2. 今のテニミュを引っ張る立場にある座長に、OBを通じて20年もの歴史を持つ”テニミュの歴史”を身近に感じてもらう

  3. 外部舞台で活躍するOBたちに初心を思い返させる

現役リョーマを外部舞台に出演させた背景には、少なくともこれだけの意味があったのでは、ということだ。

(この例えが伝わるかは分からないが、私的にはまさしく全国立海のリョーマなのである。
テニスの記憶がないリョーマに、青学の仲間は「リョーマくん 思い出して 君はテニスの王子様だってこと」「テニスにかけたあの日々を テニスに委ねた熱い命を」「お前は俺たちの希望の星なんだよ」と語りかけ、
ライバルズたちは「リメンバー パッション」「さあ お前の出番だぜ! 時代を変えちまえ! 越前リョーマ!」と鼓舞し、
それに呼応するようにリョーマは「鼓動のトキメキが聞こえる ボールを打ち返したいと」「なんだか急にいても立ってもいられない気分」と記憶を取り戻してゆき、最後には「俺は青学の柱になる!!」と覚醒する。
同時に青学の先輩たちもライバルズもいつの間にかリョーマに影響されていて、全員がリョーマに対して「越前、勝負だ!」とラケットを向け、対してリョーマは「みんな…まだまだだね!」と返す。
この一連の流れのように、今牧リョーマがテニミュの柱になるまでの一端の役割を果たしたと感じた。)

サーステ

二重写し構造

サーステの二重写し

サーステにおける二重構造の美しさは、従来のテニミュらしさと国際色の豊かさの両立にある。

従来のテニミュらしさ、つまり無印テニミュで述べた「キャラクターが対戦相手(ライバルたち)としのぎを削りながらチームメイトとの友情を深めてゆく姿を、新人キャストが周りの仲間たちと高め合いながら友情を育む姿と重ね合わせる」ことをしつつ、
さらにそれを本当に、新人(日本の2.5次元舞台において)の海外キャスト・海外とゆかりのあるキャストでやってのけたのである。

特性

サーステの特性として、以下が挙げられる。

⒈ 海外キャストの起用により、自然と助け合いが起きた
 
前述したが、サーステは、2.5次元舞台において新人にあたる海外キャストを起用して公演を行った。彼らには、そして彼らを含むチームには、言語の壁という大きい障壁があった。ただ日本語で日常会話ができるだけでは不十分で、稽古では飛び交う専門用語などを理解して稽古を進め、舞台上では観客に違和感を与えないように台詞を発することを求められた彼らの苦労や努力は想像に難くない。
(多少辿々しくとも綺麗にはっきりと発音してくれるので、正直、熱の入りすぎた無印キャストのセリフよりも聞き取りやすくて良いなとも思っていた。しかし彼らは、初日から大千秋楽に近づくにつれメキメキと日本語力もテニミュ力も上達させていったので、本当に舌を巻いた。)
 そんな彼らの助けになれるよう、パートナーがチームがそしてカンパニー全体が、彼らの日本語練習や稽古後の居残りに付き合っていた。そして反対に、英語やフランス語の発音を教えてもらっていたようだ。
 このような助け合いがチーム内だけではなく個人同士で、時にはチームの垣根を越えて行われ、結果としてカンパニー全体での一体感が増したのは、無印テニミュ(…対戦校とのバチバチ感)とはまた違った特色であったと思う。

 第四の壁を壊すランウェイシーンや客降りの復活
 
サーステは、とにかく会場全体の熱量が高くて楽しかった。コロナ禍で制限されていた声出しや客降り、それに伴うハイタッチがようやく解禁されたからである。私はガチ勢ではないので通路席に入れることはほとんどないが、それでも、遠巻きに楽しそうにしている人を見るだけでも楽しかった。嬉しそうなキャストたちの笑顔を見られて嬉しかった。
 ランウェイシーンは、舞台と客席を分かつ第四の壁を壊すものであり、コロナ禍前の無印テニミュを彷彿とさせた。山吹公演で千石が客席の私たちを可愛い子たちと認識してラッキーおみくじを配ってくれたように、あるいは、四天宝寺公演でリョーマが客席の私たちを桜乃ちゃんだと認識しておにぎりを受け取ってくれたように。公演のある瞬間において観客は作中に登場する人物かのように扱われ、役割を与えられる。サーステのランウェイシーンにおいては、私たち観客は、U-17 WORLD CUPを観にきた観客としてサーステを盛り上げる役割を任せられたのである。
(ファーステで、シーン…と静まり返った会場を覚えているからこその楽しさだったのかもしれない。同行者とすら一切声を出さずにLINEで会話していたあの頃…。やっと復活したテニミュを公演中止にさせたくないというテニモンたちの強い意志を感じた公演だった。)

⒊ 無印テニミュと繋がる熱い展開のオンパレード
 
最後に挙げられるのが、サーステは息つく間もない怒涛の名シーン集であることだ。これは、ただ原作の名シーンを再現しているということではない。過去の無印テニミュに影響を受けた許斐先生が描いた、いわばテニミュから逆輸入した名シーンたちであるからこその感慨があるのである。
(ここでは無印から繋がる話、つまり中学選抜キャラにしか触れていないですが許してください…。私が高校選抜の話をするのはまだ早いと思うこともあり…弁えました。) 

ようやく実現した手塚と不二の試合、
覚悟を決める跡部、
自分が相手に仕掛けてきた暗闇を体感する幸村、
一生懸命にテニスをする亜久津、
四天宝寺の仲間を想いスターバイブルを覚醒させる白石…… 

 許斐先生は過去に「テニミュでキャラクターの良さを再認識する」というお話をされており、さらに先生はメディアミックスの天才なので、その時にテニミュで行われている公演を反映させたストーリーをSQの原作で更新してくださっている。(例えば、山吹公演後に更新された亜久津vsアマデウスの試合では、応援席に千石や壇や地味'sのみならず、本来新テニには登場しない新渡米も喜多も室町も居たりするのだ。ファンサービスである。)
 今回のサーステで扱われたのは、ちょうど私が3rdシーズン時代にリアルタイムで追っていた所であり、何十回、合計すれば何百回と観てきた先にあるストーリーであった。過去のキャストたちの努力をリアルタイムで見ていたからこそ、時にはそのキャストたちと現役キャストが重なって見えたからこその感動があった。
 3rd新規の私でもこんなに楽しいんだから、そりゃ昔から観ていた先輩方にはたまらないだろうなあ〜と、新テニミュシリーズの人気にも深く納得できる体験であった。

まとめ

サーステは、チームも年齢も言語も国籍をも越えて、みんなで一丸となる、まさに「テニスに国境はない」を体現する作品である、と言える。

結論

アイラブテニミュ!ウィーラブテニミュ!!