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【雑記】差別問題と医学問題の類似性について

差別問題は医学問題に似ている。

例えば癌という病気について考えてみると、それを知るものは2種類ある。ひとりは癌患者であり、もうひとりは癌の専門家だ。
しかし癌患者には必ずしも医学的な知識や洞察力があるとは限らず、癌の専門家は自分が癌ではない限りその痛みが分からない。
結局は自分自身が癌患者である癌の専門家以外癌についての完全な理解は不可能なのだ。

差別もこれに似ている。
例えば在日差別という差別問題について考えてみると、それを知るものは2種類ある。ひとりは在日被差別者であり、もうひとりは在日差別問題の専門家だ。
しかし在日の被差別者には必ずしも専門的な知識や洞察力があるとは限らず、在日差別問題の専門家は自分が在日ではない限りその痛みが分からない。
結局は自分自身が在日差別被害者である在日差別問題の専門家以外在日差別についての完全な理解は不可能なのだ。

私の母もそうだった。母は戦前生まれの在日韓国人であり、若い頃から様々な差別を受けてきて、何度となく、その苦しみ、悲しみ、寂しさ、悔しさ、憤り、世の中の理不尽さを感じていたことだろう。
しかし母にはそのための専門知識や洞察力は何もなく、ただときどき思い出したように過去の断片的な体験を懐かしそうに一言二言語るのみで、大抵の場合は笑い話のように語るぐらいだった。

それに対してTwitterで在日差別問題について専門知識を並べて抽象的かつ否定的に在日差別問題を語る在日ではない者がいて、読んでみたところでしっくりこないものが多いのだ。
読んでいる私の胸に響くものが何もない。

「それ本に書いてますよね。」

としか言いようがないのだ。

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