【言葉】「がんばれ!」ではなくて「がんばろう!」

数年前に、新聞の投書を読んでいたら、ある知的障害のある娘さんを持つお母さんの話が載っていました。

そのお母さんの話では、近所の商店街などで娘さんを連れて買物をしていると、魚屋さんや八百屋さんが、しばしば、その娘さんに「がんばれよ!」って声をかけるのだそうです。で、そのお母さんが言うのに、それがいやでたまらないのだとか。うちの娘は何を頑張ればいいの、何で頑張らなきゃならないのって。

上のお母さんの意見とは別に、僕は思うのですが、「がんばれ!」って言葉は、場合にもよりますが、なんとなく、淋しい気がするのです。

僕も、今日まで生きていて、同じような言葉を何度か聞いたことがあって、何となく淋しい気がしたりするのです。それがどうしてかなと考えたのですが、のちに分かりました。それは、上の言葉が、「がんばれ!」であって、「がんばろう!」じゃないからなんですよね。

「がんばれ!」と「がんばろう!」って、違いますよね。

何が違うかと言うと、前者は他者の立場でものを言っているわけだから、どことなく対岸の火事的なのですが、それに対して後者は身内の立場、つまり同胞の立場でものを言っているのですね。英語で言えば、"Cheer up!"と"Let's cheer up!"の違いでしょうか。"Let's"は"Let us"の略ですよね。要するに、"us"(私たち)があるかどうかの違いですね。

例えば、マラソンにおいて、ある選手が他の選手に「がんばろう!」と声をかけることはあるかもしれませんが、沿道の見物人が選手に対して「がんばろう!」と声をかけたりはしないですよね。沿道の見物人が選手に対して使う言葉は、「がんばれ!」であって「がんばろう!」ではないと思うのですよ。

考えてみると、「がんばれ!」って、とてもコストのかからない言葉ですね。だから、多くの人が、善意からであれ、何気なく使ってしまうのでしょうね。そういう僕も何となく使っているのですが。
それに対して、「がんばろう!」と言う言葉は、少なからずコストのかかるリスクがありますね。何故なら、自分が「がんばろう!」と声をかけた人から、「そういうあなたは何を頑張るのか?」と問い返されたとき、明確な回答がなければならないわけですから。

上のようなことを考えてみると、ある人が周囲の人達から「がんばれ!」、「がんばれ!」って言われるということは、結局、言われる人からすると、「私の周囲には味方が一人もいない」という印象を覚えることもあるのではないかと思うのです。そうなると、四面楚歌ですね。
それに対して、「がんばろう!」と言う言葉は同じ立場の人が言っているわけだから、それは「あなたと私は仲間です」と言っているのと同じことなのではないかと思うのです。
だから、マイノリティの人にとっては、「がんばろう!」という言葉は、とても有り難いものなのではないかなと思ったりするわけです。

(別のブログからの再掲載)

https://ameblo.jp/toraji-com/entry-10038119711.html

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