【断片】日々、気付き、しばらく考えては、消えていくこと その189

生きているうちに言っておきたいのだけど、若い頃によくポジティブを自称してる人から、ネガティブな人は苦手だ、いらないという話を聞いたのだけど、納得がいかなかった。
最近だいぶ事情がわかってきた。
私が生まれ育ったのはいわゆる部落の隣町で学生で柄が悪いのが多かった。私は志があったしそれ以前にグレるお金がなかった。2枚の白いポロシャツ白い運動靴しかなかった。同級生は皆いい奴らだったが、志があるのか分からなかった。
私は東京に出てそれから30年。
這い上がれば這い上がるほど生まれ育ちがよく優秀なエリートが多くなり、その多くが自己責任論を唱える。努力しなかった奴が悪いっていう。会話が成り立たないんだ。
この間上司に笑われるように言われた。
「こんな簡単な英単語を知らないの?俺は小学生の頃から知ってるよ。俺は小学生の時から英語教室に通ってたから。
(私は塾に行ったことがない。)


私は小さい頃のおたふく風邪の後遺症、ムンプス難聴で左耳が聞こえないのだが、若い頃に彼女と同棲していて、せめて聞こえないのが右耳だったらと思った。何故か分からないけど、左の頬で君を抱きしめていたかったから。左耳で君の囁きを聞いていたかったから。


詳細はここで書けないですが、私はアルコール性の中毒症状があるようです。
きっかけは数年前から3年間会社の現場リーダーに無茶苦茶をされた上にマネージャーが半ばグルになっていてどうにもならなかったから。一昨日ブログにも書いた特許を取りたくて妥協と無理をし過ぎた結果、不眠症が悪化して極端にひどくなり、寝酒でしか飲まない酒の量が増えていつのまにかアルコール性中毒になっていた。
当時はあんなズルい人間がいると思わなかったし、医学の知識もなかった。
その後何年もフラッシュバックし、気がついたら2回もアルコール性肝機能障害になって入院し、退院後アルコール性精神障害を扱う精神病院に通院することになった。
今の上司の方に当時のことを少しずつ相談をしている。このまま終わらせるわけにいかない。現在の上司に現在の所長まで話を上げてもらい、彼らを法廷の場に引き摺り出す。
謝罪も訂正も説明すらも何もしないでトンズラしたのだから。
今の会社で50歳まで働いて、特許を取ることと定年退職の権利を得ることの2つの目的を達成した今もうこれ以上黙って我慢している必要はなくなった。合法の範囲でやるべきことをやる。辞めていった同じ立場の仲間たちの弔いでもある。
この内容はリツィート、コメントしないでください。蹴りが着いたらまた話します。


90年代前半の大学時代初めて特許申請したが、ちょうど手書きの書類は特許庁が受け取らないことになった頃で、泣く泣くワープロ専用機を買った。数学科なのに。
理由はK先生と同じで、PCが高くて買えなかった。同級生が中古のPCをプリンターとセットで100万円で買ったとか言ってたな。多分その人はプリンター以外にもいろいろ買って、さらに当時高額だった数学ソフトも買ったのかもしれない。
余談ながら中学のとき、在日の同級生の家に行ったらものすごいボロ屋なのに、彼はパソコンのフルセットを持っていた。親御さんが教育熱心だったからな。
私は同じとき別の友人に誘われて、ダイイチの近くにあったNECの販売店の店頭のパソコンをタダでいじっていた。自分でゲームを作れるアプリが入っていて、PCが買えない子供達が群がっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?