【断片】励ましについての考察

励ましについての考察

私は若い頃心のどこかで周囲の人たちの励ましが欲しかったが、それは得られなかった。

一般に周囲の人たちからの励ましは期待するほどには得られないものだ。何故ならば本来の励ましは代理人への報酬であって、あなたが周囲の人たちの代理人でない限り励ます人もいないからだ。

励ましは2種類ある。代理人への励ましとそれ以外への励ましだ。前者はありがたくもあるが見返りを求められかねない。後者は声援やいいねなどコストがかからないのが普通で前者に比べて明らかにどうでもよいものだ。声援は空気でしかない。
「何かあったら言ってちょうだいね。」

自腹を切ってくれるほどの励ましには常に「あなたが私の代わりにそれをやってくれるのならば」という条件がついている。
「私の代わりに頑張ってちょうだいよ。」

「あの人たち」のために頑張っている人を「この人たち」が励ますだろうか。

励まし合うことは可能だろうか。

励ましを強要しても得られるのは慰めだけだ。
慰めは自発性のない励ましだ。
励ましを売ってもらうのが慰めだろうか。
「いつも励ましてもらっています」とは言えても、「いつも慰めてもらっています」とは言えない。

事前に励まし、事後に褒める。
励ますことと褒めることは同じことだ。

子供に期待する親は子供を励ます。
子供に期待していない親は子供を励まさない。

特殊な事情がある身内のために頑張っている人を周囲の人たちは当事者が期待するほど応援しない。特にその事情がよくわからない場合においては。

1人の隣人が困っている。それを助けるには5人分の力が必要だ。しかし助けようとするものは私しかいない。その場合には声援を送るものを4人探してきても仕方がない。私が1人で5人分の力を発揮できる方法を考えるしかない。

https://ameblo.jp/toraji-com/entry-12574065728.html

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