【写真】観音新町の風景

画像1 観音新町にある黄魂彦神社の社殿。
画像2 黄魂彦神社。かつてこの松辺りまでが海岸線だった。その先はその後終戦直前までに大日本帝国によって日本人と朝鮮人の徴用人たちが埋め立てられたらしい。広島の原爆で多くの朝鮮人が亡くなっているが、この徴用で亡くなった朝鮮人の独身男性も少なくなかったのではないかと思う。お気の毒なことだ。なお原爆による朝鮮人死亡者については『ヒロシマを持ちかえった人々 「韓国の広島」はなぜ生まれたのか』にある程度書いてあった。しかし古くからの家族と終戦間際の徴用の朝鮮人独身男性の区別はうろ覚えですが出来ていなかったと記憶しています。
画像3 私が読んだのはこの装丁のときのこの紙の本ではなかったかと思う。 『ヒロシマを持ちかえった人々 「韓国の広島」はなぜ生まれたのか』 市場 淳子 (著) https://honto.jp/netstore/pd-book_01957757.html
画像4 何でもない数件程度のささやかな商店街だけれども、小さい頃はもっと立派に見えた。品のいい帽子屋さんやチーズケーキの美味しいケーキ屋さんがあった。
画像5 広島県総合グランド。 サッカー場で、小学一二年の頃ここのサッカー教室に通っていた。 夕方終わると芝生の上で寝転んだ。秋ぐらいには涼しい秋風が吹いて芝生の甘い匂いがして気持ちがよかった。
画像6 天満川の向こうに見えるのは江波皿山公園。 小さい頃遠足などでときどき行った。
画像7 昭和大橋。
画像8 私が育った広島らしい風景。

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