【断片】私の場合の毒親について

最近また毒親のことが話題になっているようだ。
思えば私の母も軽症の毒親だったのかもしれない。しかし私は母をそう思ったことはなかった。
私の母はとても虚栄心の強い人で自慢話が大好きな人だった。

母は私が小さい頃私を連れて一緒にパチンコをしていた。私が受験期には夜にパチンコに行って帰ってこなかった。夜食を作ってくれるわけでもなく、私は塾に行ったことがないまま一人で自習していた。夜中にひとりでインスタントラーメンを作り、勉強が捗れば生玉子を二つ入れるのだった。

しかし私が30歳の時に当時の大手有名企業に転籍した途端に母親は別人のように目の色が変わった。母は私にお金を無心することはなかったが、四六時中肩書きを無心するようになった。肩書きはただで何度でも使えてすり減ることがないので、なんの遠慮もなかった。

母は私の肩書を利用してあちこちに見返すように自慢話をして歩き、あちこちから私に苦情が上がってくるようになった。周囲の人たちからも両親の結婚に反対した母方の親戚からも幼馴染からも苦情が上がってきた。その母から四六時中私に電話がかかってきて聞けば自慢話の武勇伝ばかりだった。
また母はいらないものをどんどん送ってくるようになり私の玄関にはダンボール箱が20箱積み上がっていたがいらないものばかりだった。要するに「自分は一流企業に務める息子の面倒を見てやっている」ということが本人にとって無常の喜びらしかった。その一方で私が親元にいた頃に教育の面倒をみなかったことを悔やみ始めた。自慢して歩けば歩くほどにかえって相手から一般的な受験の話などを聞き、自分が何もしてなかったことに気がついて青ざめ始めた。
さらには当時同居していた彼女と電話番号交換をしてから彼女に電話をかけまくり、彼女からも苦情が出るようになった。
私は何度も止めたが母は聞く耳がなく、私もやがて電話口で怒鳴っていたが、最後には電話に出なくなった。
母親は栄光浴が止まらなくなり、重症の肩書依存症、自慢中毒になっていたが、自覚症状がまったくなかった。
10年以上して母は「誰も電話に出ない」と怒っていた。

しかし私は母親を毒親だとは思ったことがなかった。何故なら、虚栄心は劣等感の裏返しだから。母親は在日韓国人だったが、さらに深刻な生い立ちがあった。そのために極端に劣等感の強い人間になってしまい、それが私の出世を機にそのまま虚栄心の強い人間に変わってしまっただけなのだ。だから私には母個人に罪があるとはまったく思えなかった。
私は母親のこの問題は個人的な問題ではないと思っている。むしろ母方の在日親族全体の問題であり、母が「毒親」なら、母方の一族は「毒親族」になってしまうが、私はそう思わない。私にはこの親族も彼ら自身に罪があるとは思えないからだ。やはりもっと大きな歴史の犠牲者なのだろう。よしんば母や親族になんらかの問題があったとしても、それはより大きな社会問題のほんの氷山の一角としか思えないのである。

私自身が以前こう書いた。

「自慢する人をそう責めないことである。
自慢する人は自慢し慣れていない人なのだから。」

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