【断片】被差別者の恨みについて

先日の宇多田ヒカルさんの日本での差別問題についてのツイート(*)に対する朝鮮系らしき人たちの「差別がどんなものか教えてやろうか」という威圧的な言い方で自分の日本での差別体験を語っている引用RTがいくつか流れてきたのだけど、それらを読んでいて思い出したことがある。それについて書き記しておく。
(* 「日本で生まれ育った日本人からすると人種差別っていまいちピンと来ないかもしれないけど」)

ひとつは私自身のことで、私も若い頃に自分のアイデンティティーについて悩んでいるところがあって、身近にいる友人、特に好きな女性に話を聞いてもらいたい、好意的に興味を持ってもらいたいと思うことがあった。しかし実際に話してみると日本人の友人たちからはこの宇多田さんと同じようなコメントが返ってくるだけでそれ以上話しようがなかった。
私はそういったピンとこない日本人に対してもどかしさは感じたけれど怒りは感じなかった。なんて言えばいいんだろう、どうすれば関心を持ってもらえるだろうといろいろ考えたけど「知らなきゃ言ってやろうか」という言い方で一方的に話題を押し付けるようなことはしなかった。

またもうひとつ思い出したのは母親のことだ。
私は小さい頃に母が在日韓国人だと気がついて差別問題について考えるようになり行動を起こした。今から40年近く前の話。かいつまんで言えばヨイトマケの唄のようなことを目論んでいた。
最初は自分が子供すぎてどうにもならなかったのだけど、試行錯誤を繰り返しているうちにようやく軌道に乗ってきた。それから私は30歳のときに世界的な大手企業に転籍した。それでひとまずは母親が喜んでくれるだろうと思ったのだけど、その頃から母親がおかしくなってきた。
私は、在日で就職差別にあっていた母や親族の代わりに頑張ってここまできたと喜んでいたのだけど、母親はその肩書で周囲を見返すような行動に出始めた。当時は今のような歴史論争やヘイトスピーチが表立っては目につかない頃だったので母親の反撃的な行動には本当に驚いた。
ほとんどの日本人は意識して在日を差別してる意識はないのだろうけれど、当の在日の母は相当に恨みを溜め込んでいたようだ。私は何度もたしなめたのだけど全然母の耳には入らなかった。
ついでに言えば母親の恨みは日本人の父との結婚に反対した在日の親族にもあったようだ。
あるとき親族のお姉さんが若くして亡くなったのだけど私も葬式に呼ばれ行ってみると母親が誰だか知らない親族のおばさんたちに喧嘩を売りまくっていた。あんたたちは私の結婚に反対してくれたがこんな優秀な息子が育った、みたいなことを言っている。
これはダメだと思って後ろから母の足をつねったのだけど一切お構いなしでしゃべくり倒している。
話がそれたけれどもその時期母はひたすら周囲を見返すように自慢話をして顰蹙を買っていた。あとになって思えばこれも差別の後遺症なのかもしれない。
そのうちあちこちの日本人の旧友から私に苦情がくるようになった。
「お前の母ちゃんがやってきて自慢話ばかりして帰っていった。うちの母ちゃん怒ってたぞ!」
被差別者は2種類あるようだ。差別されて嫌だったから差別はやめようという人と差別されたのだから機会があれば見返して何が悪いという人。
話を最初に戻すけれども、先日の宇多田ヒカルさんの「日本で生まれ育った日本人からすると人種差別っていまいちピンと来ないかもしれないけど」という発言に反撃するようにコメントしてる人をみるとある時期の母と伝えたいことを伝えられなかった当時の自分を思い出してしまう。
伝えたかったことはただ一つで、悪気のない人に恨みを晴らすような言い方はやめた方がいいということだった。

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