【寓話】人文学的な悲劇について

たとえ話。

あるところに、この世のものとは思えないほど美しい風景があった。

ある日、三流画家のAさんが、旅行のついでに、その地を通りかかった。

Aさんはその美しい風景に胸を打たれて、その風景を一生懸命正確に絵に描き写した。

Aさんは芸術的なセンスはまったくなかったが、手先が器用で写真のように正確な絵を描くことが出来たのである。

そして、地元に帰ってから、路上にその絵を他の絵と並べて売っていた。
すると、いろいろな人がその絵に目を留めて、眺めた。

あるとき、それまでまったく美術に興味がなかったBさんが通りかかった。

Bさんはその絵を見て感激し、Aさんに言った。

「この絵画は大変美しい。

自分はこれまで芸術というものにまったく興味がなかったが、これこそが大傑作というものに違いない。

いくらでも出すから、ぜひこれを売って欲しい。」

すると、その様子を見ていた美術愛好家のCさんは言った。

「Bさん、お止めなさい。

この絵画は芸術的な傑作でも何でもありませんよ。」

すると、Bさんは反論した。

「だってこんなに美しいじゃないか。

君にはこの絵画の素晴らしさが分からないのかね。」

すると、Cさんは答えた。

「あのね、その絵が美しく見えるのは、単に美しい景色をそのまま描いたからに過ぎませんよ。

美しい景色をそっくりそのまま描き写せば、美しい絵が出来るに決まっているじゃないですか。

でも、その絵の美しさから、原風景の美しさを差し引いたら、そこに何の価値が残るというのでしょう。

私には、そこに何の「芸術的な付加価値」も残らないと思いますよ。

つまり、この絵画自体には芸術作品としての価値は全くないってことです。

嘘だと思うのなら、あなた自身がその絵を買い取って、画商にでも持ち込んで御覧なさい。一文にもならんから。

単にその風景の美しさに感動したのなら、その風景を写した写真でも飾っておればよいのです。」

別のたとえ話。

ある日、あるところで大地震が発生した。

多くの人が亡くなり、多くの人たちが彼らを助ける為に命がけで救助活動を行った。

その様子は連日報道され、たくさんの人たちがそれを見て涙を流した。

さて、その後、一連の報道を見ていた三流の脚本家であるA’さんが、大震災をもとにしたドラマの脚本を書き上げた。

その脚本は映画化され、多くの人が見に行った。

上映期間中のある日、B’さんとC’さんは、ふたりでその映画を見に行った。

上映中、ふたりは涙を流しながら、その映画を見ていた。

その帰り、B’さんはC’さんに言った。

「今日の映画は素晴らしかったね。

見たかい、自分の子供をかばって下敷きになって亡くなったお母さんのけなげさを。

見たかい、劫火の中を人命救助のために飛び込んでいった消防隊員の勇気を。

こういうのを、人間を描いた本当の傑作というんだね。」

すると、C’さんは反論した。

「いや、今日の映画はイマイチだったよ。」

「何でだい。君だって、涙を流しながら見ていたじゃないか。」

「それは、この映画を見ていて、先の地震で本当に亡くなった人たちのことが思い出されたからだよ。

この映画の筋書きに感動して涙を流していたわけではないよ。

いいかい、C’さん。

冷静に考えてごらん。

自然の世界において、悲劇ってあるもんだよ。

そして、僕たちは、それらに涙をせずにはおられないものだよ。

そして、それをそのまま脚本にすれば、それなりに感動する話は書けるってもんだよ。

でも、そうして書き上げられた脚本の人文学的な価値は、美しい景色をそっくりに描き写した絵画の芸術的な価値と何ら変わるところはないんじゃないかしら。

僕たちはその作品に対して感動しているんじゃなくて、その作品を通して、自然界における悲劇に感動しているだけなんじゃないだろうか。

そう考えてみると、僕には、今日の映画に人文学的な悲劇としての価値があったとは思えないんだよね。」

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