ガネーシャと誕生日~占いと猫とトラジャのコーヒーvol.31
今日は私の誕生日だ。
だいたいもう誕生日を祝う歳ではないのだが、SNSのフレンドさんから大量のお祝いコメントをいただいた。
この歳になって、「お誕生日おめでとう!」だなんて、くすぐったい。
嬉しいのだが、ふわふわとしたある種の居心地の悪さを覚えてしまうのは、「リア充」を経験することなくおとなになったせいなのだろうか。
誕生日を祝って貰えるなんて、素晴らしく光栄!
誕生日が当たり前にやってきて、お祝いをしてもらえた人は幸いである。
幼少時に、盛大に誕生日を祝ってもらえた経験を持つ人は幸いである。
子供時代に、誕生日を祝ってもらえた人は幸いである。
学生時代、お誕生日のプレゼント交換ができた人は幸いである。
学生時代「誕生日おめでとう!」と当日言ってもらえた人は幸いである。
そんな経験を持たぬままおとなになり、自分の歳がいくつかもよくわからぬ状態になって100人以上の人からお祝いの言葉をもらうだなんて。
なんの罰ゲームなのだ、と考えてしまう。
なんでそんな考えになるのか理解できない、と思ったあなたは幸せなのだ。
自己肯定感というものが著しく欠如している私にとって、なんとも居心地の悪さを感じる日なのだ。
こんな事を言ってはいけないのかもしれない。
世界の多くで誕生日は何よりも大切な日とされている。
誕生日を盛大に祝うことが何よりも大事だと。
産み、育ててくれた親に感謝し、祝福する日・・・。
分不相応と感じているのだ。
素直にありがとうと受け取ることができないなんて、不幸だな、私。
ひねくれてるなぁ。こじらせてるなぁ。
なんでだろ。
すなおに「ありがとう!!♡」って受け取ればいいのにね。
ガネーシャのカードと祝福
誕生日というのは一種の節目である。
普段から気楽にガネーシャのカードを引いているから特別ということではないのだが、今日はちょっとだけ気合を入れて引いてみた。
そのカードがこれだ。
お誕生日おめでとうと言われるのはくすぐったすぎて居心地が悪いのだが、このカードの祝福は心から素直に嬉しいと思う。
やっぱりひねくれてるな、私w
祝福を無駄にしないように、頑張ろう。
沢山の人からもらった「おめでとう」をかみしめていこう!
お祝いくださった皆さんへ。
ありがとう♡
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