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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」06 高史明(コ・サミョン) (その14、最終回)

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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」総目次

高史明コサミョン──
暴力と愛、そして文学
―パンチョッパリとして生きた (その14)


15)息子の死と歎異抄との出会い


 1974年12月、高史明は『生きることの意味 ある少年のおいたちをちくま少年図書館の一冊として出版した。自身の少年期を描いた自伝的作品だ。この作品で日本児童文学者協会賞、産経児童出版文化賞を受賞した。

 これは息子に対するメッセージでもあったのだが、出版の7ヵ月後、75年7月17日、中学一年生の夏、12歳の真史は住居近くの団地から投身して死んだ。

 身近な者の生を助けられなかった高史明は錯乱の中で『歎異抄』にすがった。
 かつて高史明に文学の道を指し示した野間宏の『歎異抄』を読んだ。
そして親鸞の生き方を仲立ちにして生きられないかと考えた。
 高史明は〈自分の悪をのり越えようとするのではなく、それを自分自身の存在すべてに引き受けることこそ必要であったのだ。〉(『彼方に光を求めて』P115)と自覚する。

野間宏現代語訳 親鸞『歎異抄』河出文庫

 高史明が『一粒の涙を抱きて―歎異抄との出会い』を上梓したのは1977年1月、「歎異抄との出会い」三部作『少年の闇』『青春無明』『悲の海へ』(径書房)は1983年~85年に出している。

それより前1976年11月、妻とともに息子の残した詩文を集めて『岡真史詩集ぼくは12歳』を出版した。1985年には再編集して『〈再編〉ぼくは12歳』がちくま文庫に入った。
高史明・岡百合子夫妻のもとを『ぼくは12歳』を読んだ若者たちが訪ねて来るようになった。

岡真史『〈再編〉ぼくは12歳』ちくま文庫



「親鸞との出会い」三部作は、依存した『歎異抄』や『教行信証』などからの引用を減らすなど大幅改編して『生きることの意味 青春編』1~3として1997年にちくま文庫で再版したが、もう一度改編して角川文庫から『闇を喰む』ⅠⅡ(2004年)の2巻本とした。

  晩年は神奈川県大磯のマンションに移り、妻の岡百合子と二人で暮らした。そして『歎異抄』や真宗に関する執筆を続け、各地で講演活動も行い、2008年3月にはNHKの「ETV特集」にも出演した。
 2023年7月老衰で死去する前年には、愛妻岡百合子の永眠を見送っていた。(了)

妻、岡百合子の著書
『中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史』平凡社ライブラリー
高史明・岡百合子夫妻(2016年5月)
ジャーナリストの中村一成さん
崔鐘淑さん(韓国軍事政権による父の冤罪を雪いだ)と
撮影・提供:黄英治さん※


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◆参考文献

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