見出し画像

あなたは何者。

わたしは何者でもない。
これと言った資格もなければ大した職歴もないままいい年になっている。
じゃあ自分の好きなこと、やりたいことを存分にやってきたかと聞かれると、それもNOだ。
その時々で制約があったり、制約がなくても「自由に自分であること」に慣れていなくてみすみすチャンスを逃すこともあった。
後悔すること山の如しといえばそうなのだけど、救いなのはその時々で「私はやり切った」と思えているということだろう。

第三者が見ればもっと効率の良い方法や良い結果に導くことができる道があると思われることでも、その時の私は最大限向き合って取り組んできたと思えている。
もう一度やり直せるよ、と言われたとて、同じスペック、コンディションなら私は同じ道を選ぶだろう。

具体例を挙げていないので抽象的でとてもわかりにくい表現になっているのが読んでくださっている方には申し訳ない。

まぁそんな生き方をしてきた上で、今ここに何者でもない私がいる。
そう思うと虚しい気分になることが多々ある。
だから何者かになろうともがいたり、でももうこの歳じゃな、と落ち込んだりすることも御多分に洩れず、である。

でもね、私、私のこと嫌いじゃないんですよね。

相手を選んだり、自分の損得で頑張ったり、頑張っているふりをしたり、あからさまに手を抜いたりということをしないで、できるだけ良き人間であろうとしてきた自分には良くやってきたよと言ってあげたい気持ちがある。

「良き人間」の基準は私が決めたものだから、それこそ側から見れば少しも正しい道ではないこともあったのかもしれない。

ただの自己満足。

それの何が悪い?
なんて開き直れる年齢になったのは良いことか悪いことか。
まぁ、どっちでも良いか。
私は何者にもなれないでいるけれど、私として生きることは手放していない。
今はそれで良い。

この駄文を読んでくださったあなた。
あなたは何者ですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?