見出し画像

足りない私を愛したい。

今日も、あてもなくnoteの中をふらふらと彷徨っていた。
すると初めましての方の記事の中にヨシタケシンスケさんのイラストが登場してきた。
なんのことはない巡り合わせだったけれど、ふと思い出された感情があったので、残してみようと思う。

初めてヨシタケシンスケさんの作品に触れたのは「りんごかもしれない」だった。
お子さんの有無に関わらず、ご存知の方が多い作品だろう。
子ども向けの絵本、児童書というカテゴリーだけには収まらない、でも(大人からの視点ではあるが)子どもらしさがあり、子どもたちにこの面白さを素直に受け取って欲しいと感じる自由さを持つ作品だと思う。
ヨシタケさんの作品はどれも視点が面白いだけでなく、表現が押し付けがましくない、ふわっと心の中に入ってきて、心をほんのり温かく、柔らかくしてすっと去っていくような優しさがあると思っている。

そう思いながらヨシタケさんの作品にふれつつも、才能がある人はいいなぁ、というネガティブな気持ちも多少は感じることがあったある日、ヨシタケさんにフィーチャーしたテレビ番組を見た。
ヨシタケさんが絵を学んでいた時、決して優秀な方ではなかったことや、着色が苦手で今も(その番組の放送当時のこと)自分ではイラストに色をつけていないことなどを話されていて、驚いた。
でも、そのことを話すヨシタケさんの表情は柔らかく、専門の方に着色をお願いしていることを話す時は楽しそうにすら見えた。
いや、楽しんでいるんだろう。

あぁ、だから好きなのかな。

と、ふと思った。
足りないところ(と言ってしまうと失礼な表現だけど、敢えてこの表現で)があっても、それがないことを嘆いたり、躍起になって手にしようとするのではなく、自分が持っているものをどう表そうか、プラスで必要になる部分を他者にどう委ねようか、それをまるごと楽しんでいるように見える。
足りないところがある自分を受け容れ、認め、愛しているように見えた。


そうかー、足りなくてもいいのかぁ。


ふっと力みが抜ける気がした。

自分を顧みると足りないところばかりに焦点を当て、勝手に自分を追い込み、痛めつけていた。
そうするようになった背景は色々あって、それでも良くやってきたよ、と思ってあげられる程度になってきただけいいじゃないかと思っていた。
でも、そこからまた一歩踏み込むきっかけをヨシタケさんがお話ししているすがたからもらえたように思う。

足りなくてもいいんじゃない?
足りないから可愛いんじゃない?
足りないことも楽しめるんじゃない?

生きることを楽しむ術をもらった気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?